『生かさず、殺さず』
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生かさず、殺さず 久坂部羊(よう)著
[レビュアー] 原口真智子(作家)
◆認知症病棟 壮絶な命の問い
日本には、約五百万人の認知症患者がいる。今後さらに増えていくだろう。治療も予防もいまだ決め手がない現実の中で、私たちは当然のように長生きをめざす。つまり、認知症患者も、がんや糖尿病や誤嚥(ごえん)性肺炎になるということだ。しかし病気の意味を理解できない患者に、内視鏡をし、腫瘍の生検をし、四時間もの人工透析を続けさせるのは想像を絶することではないだろうか。
本書の主人公は、様々な病気を抱えた認知症の患者をまとめて収容する病棟の医長である。尿バッグを吊(つ)るしたまま徘徊(はいかい)する前立腺がんの患者、こっそり大福餅を食べようとする重度糖尿病持ち、暴力をふるう患者もいれば、排泄(はいせつ)物を隠す患者もいる。むろん誰もが、立派に社会人としての過去を持つことは言うまでもない。さらに、事情を抱えた背後の家族たちも絡んで繰り広げられる、医師や看護師たちの格闘の日々。
現役の医師でもある著者が描くディテールは、奥行きも深く情も濃い。まさに血と心の通ったリアリティには引きこまれずにはいられないのだが、実はそれだけではない。並走して仕組まれるストーリーが、サスペンスフルなのである。
主人公は元外科医だが、なぜか現場を離れてWHO(世界保健機関)に所属、海外勤務を経て帰国し、この認知症病棟に来た。医師は皆、痛恨の症例を胸に秘めているのかもしれない。そこに、昔の同僚で今は小説を書く怪しげな男が絡んで、二転三転、ラストでまた息をのませる展開である。
命の現実の前に、人は立ち尽くす。医師は、ドライに割り切ろうと思うアクセルと、割り切ったらおしまいだというブレーキに苦悩する。だが、どれほど悲惨な症例も、やがて患者の死によって終結する。難問も、矛盾も、不条理も、死とともに解決するのである。それは悲しい真実だが、また次の命の上に、新しい難問が生まれるだろう。そうやって命の上にとめどなく降り積もっていく問いを前にしては、言葉も答えも見つかりそうにない。
(朝日新聞出版・1870円)
1955年生まれ。医師、作家。著書『廃用身』『芥川症』『悪医』など。
◆もう1冊
冨士本由紀著『愛するいのち、いらないいのち』(光文社)。介護に伴う家族の惑い。