美しい国ニッポンは民の暴れる国だった

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代

『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』

著者
藤野 裕子 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784121026057
発売日
2020/08/21
価格
902円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

美しい国ニッポンは民の暴れる国だった

[レビュアー] 林操(コラムニスト)

 米国やフランス、あるいは香港のように愚君暴政に対する暴動が起きないのはこの国の民度が低いから。そう疑ってるアナタにお勧めなのが『民衆暴力』です。

 江戸時代の百姓一揆を序章で紹介した後、維新当初の(1)新政反対一揆、明治17年の(2)秩父事件、20世紀に入ってからの(3)日比谷焼き打ち事件(明治38年)、(4)関東大震災のときの朝鮮人虐殺(大正12年)までを詳しく分析していく流れで、まず印象に残るのは、時間の経過が文明の開化、つまりは残虐度の低下に比例しないこと。江戸中期までの百姓一揆は民・官ともに意外なほど非暴力的で穏健だったし、一方、大正末期の大震災発生直後は民が竹槍に日本刀、官が機関銃まで持ち出す文字どおりの虐殺だからね。

 一口に民衆の暴力といっても、いつも民vs.官で起きるわけじゃなく、朝鮮人虐殺のようにコッチ側の官+民vs.アッチ側の民という構図でも起きる点も、この新書で再認識。安倍を戴く官+安倍好きの民vs.安倍嫌いの民という現状に似てて、タガの外れた官と、その官に巻かれる民とが一体化する怖さは共通する。読中も読後も頻繁に思い起こすのはニッポンの現状惨状だから、「一揆・暴動・虐殺の日本近代」なる副題から「近代」は削っていいくらい。

 著者の藤野裕子は前著も『都市と暴動の民衆史』(有志舎)という専門家。違う分野の研究に進むはずがこの新書まで書いた心意気を買い、「新・ミンボーの女」と勝手に命名、次作を待つ。

新潮社 週刊新潮
2020年9月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク