警察官が本当に読んでいる「警察小説」って?
数多ある職業小説の中でも抜群の人気を誇る「警察小説」。では日本国内の約30万人の警察官は、実際にそれを読んでいるのか。
警察官に読書家はいない? 現役警察官が憧れる警察って? 元週刊誌記者の「小説新潮」編集部員が徹底調査!
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警察官は本を読まない?
遅めの梅雨の訪れを感じた、六月中旬。最初の取材に出向いた。
顔を合わせたのは、週刊誌記者の頃から付き合いのある四〇代の男性警察官。恰幅のいい腹と常に目尻の下がった布袋さんのような顔立ちに、上からも下からも信頼される人好きのいい性格が窺える。今回の取材では、協力者の立場を守るため、名前や所属などの詳細は明かせないが、殺人や誘拐など凶悪事件の捜査に携わる強行犯係の経験もあるベテランだ。
「今回、〈警察官が読む警察小説〉を伺いたいんですが……」
私が本題を切り出したところで、彼の注文したカツ煮定食が運ばれてきた。現在彼は都心の警察署に勤務している。今日は非番だが、残していた仕事のために署に出向いているそうだ。比較的時間に余裕があるというので、この日に近所の定食屋で昼食がてら話をする約束を取り付けていた。
「いやあ、警察官はあまり本を読まないからなあ。それよりも体を動かす方が好きだね。まあ年を取るとそれもなくなってきちゃうけど……。読むとしても、実務の参考書や昇任試験の問題集がほとんど。取材者を探すの、大変だと思うよ」
企画を真っ向から否定する彼の言葉に、衝撃を受ける。警察官は本を読まない……? 内心焦りが募るが、彼は気にする風もなくごくんとカツを飲み込んで続けた。
「でも読書好きの警察官だって中にはいるさ。僕もまあまあ読むほうだと思うよ。通勤の電車の中では基本的に本を読んでいる。ジャンルはやっぱり警察小説が多いかな。最近は時代小説にも手を出して、上司と『鬼平犯科帳』(池波正太郎、文春文庫、二〇〇〇年刊行)の話題で盛り上がったりすることもあるよ」
わかりやすい勧善懲悪の世界観が、警察官の間で受けがいいという。
「特にお気に入りの一冊とかって、ありますか」
「お気に入りか……。横山秀夫さんの『深追い』(新潮文庫)かな」
『深追い』は、三ツ鐘署という所轄に勤務する七人の警察職員を主人公に据えた短編集である(単行本は二〇〇二年刊行)。交通課の事故係、刑事課の鑑識係、生活安全課の少年係など、その立場だからこそ遭遇する謎の数々と、彼らを取り巻く人間ドラマが丁寧に描かれた作品だ。二〇〇五年には椎名桔平主演でドラマ化もされている。
「警察官を取り巻く人間模様の描写がとにかくリアルでさ。“早く結婚しろ”っていうプレッシャー、検挙件数を争う雰囲気、キャリアとの微妙な関係とかがすごく共感できて、“自分の身近でも起こりそうだな”って親近感がわくんだよ。著者の横山さんはもともと新聞記者をされていたそうだから、その経験が活きているのかもなあ。【事件】よりも【警察官】を描いているところがこの作品の強い魅力に感じたね」
ノートにせかせかとメモを取る。頭上からはずずずっと緑茶を啜る音が聞こえてきた。
「僕たちは普段から血生臭い事件や人間関係のいざこざに遭遇しているでしょう。だからせめて、本の世界では面白さや安心感を求めたくなるんだよ。同僚の中には、緻密な捜査を見せられるくらいなら映画の『踊る大捜査線』くらいぶっとんでいたほうがいいというやつもいたな。何より、自分のやっていることが社会のためになっているんだって、勇気をもらえる作品はやっぱり好きだね」
ただでさえ下がった目尻をさらに下げながら、朗らかな表情で彼はそう締めくくった。「よっこらしょ」と重そうな腰をあげ署に戻っていくその姿は、以前にも増して頼もしく見えた。
警察官が憧れる「警察」
次の取材者との待ち合わせは、都内の古い喫茶店。約束の一五分前に店の扉をくぐると、すでにきりっとしたグレーのスーツを着込んだ真面目そうな青年が坐っていた。
「新潮社の者です」
そう声をかけると、彼はすっと立ち上がり丁寧に自己紹介をした。三〇代半ばだというが、肌の白さと、一八〇センチはあろうかという長身が、彼を若く見せている。切れ長の目を覆う銀縁の眼鏡からは高い知性も感じられる。こちらの名刺をしげしげと見つめるが、自身の名刺を出す様子はない。
「今日はお休みと伺っていましたが……」
取材協力者探しは案の定難航していた。職場の人間らに声をかけていたのだがなかなか警察官には繋がらず、いたとしても「本は読まない」と断られてしまう。一人目の彼の言葉を身に沁みて感じていた矢先、他社の編集者仲間が『地方の人間でよければ』と、日本海側で働く彼を紹介してくれたのだ。
迷惑をかけないためにも、休日、都内に来る機会に三〇分だけの面会の約束を取り付けていた。にも拘わらず、眼前の彼はスーツに身を包んでいる。
「一応、きちんとした格好をしようと思いまして」
注文したアイスコーヒーをもちろんブラックで飲む彼に、今回の取材主旨を説明する。
「お薦めの警察小説をお聞かせいただけますか」
そう尋ねると彼は「御社の本でなくて申し訳ないのですが……」と言いながら黒光りする鞄から三冊の文庫本を取り出した。
「麻生幾さんの『ZERO』(幻冬舎文庫、単行本は二〇〇一年刊行)です。文庫で上中下巻と長めですが、物語に入り込んで一気に読んでしまいました。このお話は弊社の花形である刑事警察ではなく、公安警察が題材となっているので、特に印象に残っています」
「弊社……」
思わず繰り返してしまう。
「ああ、失礼しました。一般的に我々はあまり所属を大っぴらにはしません。便宜を図ってもらおうなどと下心をもった人間が近づいてくる場合がありますし、身分が分かって職務に影響を及ぼす可能性もあります。だから言葉遣いもデリケートになっています」
公務員らの口にする「弊社」という言葉に、週刊誌時代から違和感を覚えていたが、まさかそこまでの理由があったとは─。豆知識をメモに取りつつ、本の紹介に話を戻す。
彼の言葉通り、この作品は警視庁公安部でアジア諸国に関する情報収集を担当する峰岸智之という捜査官が主人公だ。舞台は二〇〇四年。中国の大物スパイによる諜報活動の端緒を掴んだ彼が、その捜査の過程で国家間の陰謀に巻き込まれ、孤軍奮闘する様を描く、ハードボイルドな一作である。
「公安警察は、同じ警察同士でも謎に包まれた存在です。彼らは同僚はおろか家族にすら仕事内容を話せない。そんな過酷な環境で戦い抜く切れ者の主人公が魅力的です。そして何より、作中の業界用語の量に圧倒されました」
特に印象に残ったシーンを尋ねる。
「物語は新宿で中国人スパイを焙り出す極秘作戦から始まります。そこでの無線のやり取りから『チュウナン』(中国系男性)や『人着(人相や着衣)』など専門用語が飛び交うんです。警察内部での隠語など、あまりのリアリティに“一体どうやって取材をしたのだろうか”と気になってしまうほどでした」
長い指で本をめくりつつ語っていた彼が、ことり、とそれをテーブルに置く。赤黄緑、三色の表紙の文庫本が並んだ。
「小説世界では描かれる内容が現実からほど遠いことがほとんど。“そんなことは起こらないぞ”と思うことも多くあります。それでも、やる気ある主人公が何かを成し遂げる姿を見るのはモチベーションの維持になるのではないでしょうか」
時計を確認し、「それでは」と彼は立ち上がった。雑踏に紛れていく灰色の背中は、今まさに彼が語った公安警察のそれに重なって見えた。
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