『あらゆる薔薇のために』
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容疑者を絞りこむ論理と孤独を照らし出す「小説の設計」と
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
世界が広がる瞬間を見た。
潮谷験『あらゆる薔薇のために』を最後まで読み終えて、ふと、そんなことを思った。今、目の前で少しだけ世界が広くなったと感じたのだ。小説を読む喜びにはさまざまな種類があるが、これは最上のものだろう。
デビュー以来潮谷は、毎回異なった題材を扱い、作風も変えながら自分の可能性を拡げる挑戦をしてきた。過去の作品からすると、この第四長篇は比較的正統なミステリーに見えるのである。だが、違う。
本作独自のものとして、罹患すると一切の記憶が喪われる奇病が描かれる。開発された治療薬には、身体のどこかに薔薇の形をした腫瘍が生じるという副作用があった。病気から快復した者たちは「はなの会」という親睦団体を作っている。治療薬を開発した医師と、会に属していた高校生が相次いで殺害される、というのが事件の始まりだ。捜査に当たる京都府警の八嶋要も病気を経験しており、身体に薔薇を持っている。
連続殺人事件を追う警察小説として読んでいるうちに意外な事実が発覚し、事件の様相ががらりと変わる。ここから繰り広げられる議論では、たまらない知的興奮が味わえるはずだ。潮谷作品の美点は犯人捜しへの徹底した関心がある点で、本作でも容疑者を絞りこむ論理には感心した。
八嶋には心の傷になっている過去があり、その体験が他人同士が心から理解し合うことの難しさ、人間が本質的に抱えている孤独を照らし出していく。謎について突き詰めて考えていくとそこに思いが至るように小説が設計されているのだ。
真相が判明したときには、誰もがたまらない寂しさを感じるのではないか。それを味わわせておいて、作者は真の結末へと読者を誘う。孤立して生きるしかない人間も、どこかで繋がり合うことはできないだろうか。そんな救済への希望を叶えるような情景が描かれるのである。読んだ者の心に火を灯し、物語は終わる。