思い出も捨てるようで…深夜に息子のおもちゃを処分した父親が語る、切なくて愛しい「トイ・ストーリー」

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泣きながら捨てたガンプラの思い出

 だとしても、味がなくなってから捨てるまで、少し時間がかかるような気はする。

 僕には一つだけ、玩具との別れの記憶がある。

 小学校の頃、僕は「SDガンダムBB戦士」という玩具を集めていた。子供でも作りやすい、掌サイズのロボット戦士のプラモデルである。色々な種類があって、祖父母や両親に買ってもらうたびに箱を眺め、わくわくしながら作っては、完成品で一日中遊び、夜には枕元に置いて見つめながら寝ていた。当時、「SDガンダムBB戦士」は僕の友達だったのだ。

 小学校六年生の終わりにさしかかると、ロボット戦士たちは三〇体近くにもなっていたと思う。箱に仕舞ってあるものもあれば、棚に飾られているものもあった。いくつかは長いこと置きっぱなしで、埃をかぶっていた。

 そんな時、家庭の事情で引っ越しが決まったのである。

「ほら、だらけてないで、準備は終わったの? 段ボールの数は足りてる?」

 部屋を覗き込んだ母にピリピリした声でそう言われて、僕はマンガを閉じて重い腰を上げた。

「こっちの玩具も早く仕舞わないと、終わらないよ」

 再び作業を始める。僕は棚からロボット戦士を取ると、段ボール箱に入れた。だが、うまく収まらない。ロボット戦士たちはそれぞれ剣や槍といった武器を持っていたり、角つき兜をかぶっていたりするのでお互いがぶつかり合うのだ。無理に押し込むとパーツが外れたり、折れてしまう。

「ああ、また壊れちゃった」

 四苦八苦するうちに、僕はだんだんイライラしてきた。乱暴に押し込むと、一体の首が外れて転がり、こちらを向いた。

「手伝ってあげようか」

 母はそう言ってくれたが、それも気にくわなかったのだろう。首を横に振り、頑なに続ける。でも、どんどん気持ちは沈んでいった。

 夕陽が窓から差し込んでいる。オレンジ色に照らされた部屋の中で、傷ついたロボット戦士たちを前に、僕はぼそりと言った。

「もう、いい。無理だもん」

「無理って、何が」

「やめる」

「やめるって、じゃあどうするの」

 答えられない。その言葉を、口にしたくなかった。ロボット戦士たちが僕の方を見ている。他の人にはどれも同じように見えるかもしれないけど、僕にとっては一つ一つ、全て特別な存在だ。ロボットの名前はもちろん、性格や好きな食べ物、考えていることまで一時はわかっていた。

 やがて母が代わりに言った。

「捨てるってこと?」

 僕は頷いた。涙が床に滴り落ちた。

「全部?」

「うん」

 段ボール箱に仕舞おうとした時、もう気づいていたのだ。彼らを次の家に連れて行きたくないと感じている自分に。だけど割り切れなかった。

 祖母に説明書の漢字を読んでもらった。難しいところは祖父に手伝ってもらった。プラモと父親と一緒にお風呂に入ったこともある。一日中ごっこ遊びをした。妹が勝手に触ったら、思わず怒鳴りつけてしまった。そんな光景が目の前をちらついて、にっこり笑った表情のロボット戦士を見つめると胸の奥がちくちくした。

 僕は母を睨みつけた。そうすることでしか、罪悪感を誤魔化せなかったのである。

 母がため息をつき、「そう」とだけ言った。少し、母の目も赤くなっているように見えた。

 ゴミ袋にロボット戦士たちをざらざらと放り込んだ時、不思議な気持ちだった。ああ、とんでもないことをしてしまった。と同時に、どこかほっとしてもいたのである。

 さようなら。

 あの引っ越しがなかったら、ロボット戦士たちと自然にお別れができただろうか。それとも、父のブリキの郵便車のように、ずっとどこかに仕舞われていただろうか。

 母によると、僕が残していった玩具や本などが、まだ実家にたくさんあるらしい。

「処分してもらっても大丈夫だよ。でも、捨てるのは大変かな」

 僕が伝えると、母はこう答えた。

「私には捨てられないよ。あなたが一歩一歩進んでいった過程だと思うとね。あなたに捨てて欲しいの。It’s up to you.『あなた次第』よ」

大人も子供もそう変わらない

 ちんたんが飽きた玩具に向ける目は、ことごとく冷たい。というか、視界に入っていないようだ。新しい玩具を手にして走り回る足元に、古い玩具がひっそりと転がっている。

 でも、僕もそう変わらない。

 今でも思いつきで新しいことを始めてはすぐに飽きてしまったり、一時は没頭した何かをすっかり忘れていたりする。人間って、そんなもんだろうか。

「あら、これいいじゃない。凄くいいアイデアだと思う」

 我が家に遊びに来た母が、そう言って拍手した。

「机の下に玩具がしまえるのね」

 そう。折れた脚の代わりに五つの玩具箱を並べ、その上に天板を乗せたのである。新しい机を買うまでの応急措置だと伝えたら、びっくりしていた。

「もうこのままでいいかもね」

 妻が生まれ変わった机を見つめて、うんうんと頷く。

 高さはちょうど良く、意外と安定していて、玩具もすぐに出したりしまったりできる。便利である。

 これでいいのだろうか。折れた脚を思うとちょっと切ないが、別れがあれば出会いもある。

 ありがとう、机。

二宮敦人(作家)
1985年東京都生まれ。2009年に『!』(アルファポリス)でデビュー。フィクション、ノンフィクションの別なく、ユニークな着眼と発想、周到な取材に支えられた数々の作品を紡ぎ出し人気を博す。『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』『ぼくらは人間修行中―はんぶん人間、はんぶんおさる。―』(ともに新潮社)、『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(TOブックス)など著書多数。

二宮敦人(作家)

新潮社 波
2022年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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