『コクーン』
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葉真中顕『コクーン』インタビュー
[文] 朝宮運河(書評家)
――最新作『コクーン』は、一九九五年に無差別銃乱射テロ事件を起こしたカルト教団「シンラ智慧の会」を軸に、そこに関わった人々のさまざまな人生を描いた作品です。モチーフになったのは、あのオウム真理教の事件ですね?
葉真中 そうです。今回は現実の事件をモデルにした小説を書いてみたいという思いがありました。当初はまったく別の事件を調べていたんですが、書いているうちに宗教的な要素を絡めたほうがしっくりくることに気がついた。それで以前から関心を持っていたオウム事件を扱うことにしました。もちろんシンラ=オウム真理教ではないんですが、重なり合う部分も多いですね。
――オウム事件が起こった当時、葉真中さんはおいくつでしたか。
葉真中 十九か二十歳、大学生でした。とにかくとんでもないことが起こったという驚きとともに、自分とそう年の違わない若者たちが宗教に取りこまれ、凄惨なテロを起こしたということに大きな衝撃を受けました。ありきたりな言い方ですが、他人事ではない事件という気がしたんです。もちろんそう感じた人が多かったからこそ、あれだけの報道がなされ関連書籍がたくさん出たんでしょうけど。小説は当時から趣味的に書いていたので、いつかこの事件を書けたらいいなと思っていて、今回ついに取りあげることができたという感じです。
――現実の事件をモデルにすることの難しさはありませんでしたか?
葉真中 ありました。事件から二十年が経って、裁判はすべて終了したといっても、テロ事件の後遺症に苦しんでいる方、家族を亡くされた方など、当事者にとってはまだ現在進行形の事件です。エンターテインメントの題材として扱っていいものか、迷いは当然あったんです。オウムがモチーフといっても教団や信者を批判したり、被害者へのケアを訴えたりする内容でもないですしね。『ロスト・ケア』や『絶叫』もそうですが、現実の事件や社会問題を扱う限りは、必ず誰かを傷つけてしまう可能性がある。しかし、フィクションでしか表現できないものがあるのも事実だと思います。そこは覚悟を決めて、力の限りいいものを書こうと努力するしかないですよね。
――物語は「ファクトリー――2010」「シークレット・ベース――2011」「サブマージド――2012」「パラダイス・ロスト――2013」と題された四つのエピソードからなっています。無差別テロで幼い子を失った女性、教祖の幼なじみ、熱心な信者の家族など、いずれもテロ事件の当事者ではなく、教団の周囲にいた人たちです。
葉真中 エンタメとしては二つのやり方があると思います。ひとつは正攻法でテロに走ったカルト教団の内部を丹念に描いてゆくというもの。もうひとつは周囲の人たちの視点から、事件の特異性を浮かびあがらせるという方法です。どちらがわたしたちの立場に近いかといえば、これはもう断然後者ですよね。もしかしたらあの日、自分がテロに巻き込まれていたかもしれないし、家族や恋人が信者になっていたかもしれない。事件に直接関わっていない周囲の人たちにも、当然描くべき葛藤やドラマはあるはずです。今回は事件そのものより、そちらへの関心が強かったんです。
――四つの章の合間に、ある女性の人生を描いたパートが断片的に挿入されます。戦前の満州に生まれ、戦後の混乱期を生き抜いてきたこの女性も、教団に大きな関わりを持っていますね。
葉真中 この作品で描いているのは、事件から約二十年がたった現在と、シンラが生まれるまでの時間の流れ。事件が起こった一九九五年は描いていないんです。本作におけるシンラはいわば〈不在の中心〉。周囲を描くことがメインなので、あえて教団そのものは空白にするようにしました。
――第一章「ファクトリー」の主人公は、シンラのテロで幼い息子を失った女性です。工場の夜勤でなんとか生計を立てていた彼女は、ある日同僚から割のいい看護助手の仕事を紹介されます。その病院というのが、すさまじい場所でした。
葉真中 ええ、「行路病院」ですね。行き倒れた人たちを入院させ、生活保護を受給させて、医療費を受けとる。これは実在します。確かにあくどい商売なんですが、じゃあ行き倒れている人たちを放っておいていいのか、という問題もある。以前から興味のある題材だったので、二〇一〇年代の日本が抱える矛盾のひとつとして盛りこんでみました。
――この章である人物が「世界は工場のように自動的に動く巨大なシステムなのよ」と発言します。人間の運命を左右する巨大なシステム。これがひとつのテーマになっていますね。
葉真中 自由意志って本当にあるのかな、という疑問が常にあるんですよ。誰しも人生を自分の意志で切りひらいていると思っていますが、実際は思い通りにならないことのほうが多いですよね。この作品で描きたかったのは、主体性を超えた大きなものに翻弄されてゆく人の姿。そこには思い通りに生きられない葛藤が生まれるし、哀しみや悔しさ、あるいは喜びがあるんじゃないかと。たとえば行路病院に入院している人たちだって、望んでそうなったわけではない。避けられるものなら避けたかったはずです。
――第二章「シークレット・ベース」はネット心中のため東北を目指している中年男性が主人公です。不景気で仕事を失い、ホームレスとなった彼が、徐々に自殺へと追い込まれてゆく姿は、読んでいて胸が痛くなりました。
葉真中 これも言い古された表現ですけど、わたしは小説を通じて人間を描きたい。さまざまな人生のモデルケースの中で、この人生にはどういう意味があるのか、もしあなたがこの立場だったらどう感じるのか、ということを問いかけていきたいんです。
――葉真中作品の主人公は何かを失った人物であることが多いですね。
葉真中 そうかもしれません。人間って何かを得たときよりも失ったときのほうが、本質的な部分が問われていきますよね。文字通り「地金が出る」わけですから。何もかも失ったところから見えてくる芯の部分、そこに興味があるんだと思います。すべてをなくした人が、それでも力強いものを残していたとしたら、それは大きな感動になる。これまで見たことのない景色を見せるのが小説の醍醐味。それを表現するためのアプローチは色々ですが、わたしにとっては“はぎ取る”ことなんでしょうね。
――「サブマージド」は東日本大震災の津波で死亡した兄の遺体を確認するため、東北に向かう女性の物語です。元シンラの信者で、教団の犯罪に荷担した兄が探し求めた人生の意味とは何だったのか、ミステリー仕立てで問いかける作品になっています。この章に限らず、シンラの信者イコール悪人、という描き方はされていませんね。
葉真中 これはわたしの作風だと思うんですが、根っからの悪人とか根っからの善人は描きたくないんです。自分の人生を思い通りに生きられている人なんて、善人でも悪人でもほとんどいないと思う。何が善で何が悪かも、時代や社会によって変わりますしね。いわゆる〈絶対悪〉というものは存在しないんだろうなと。オウム真理教にしても、もちろん彼らの犯罪は許されるべきではないし、現実に裁かれるべきですが、共感できる部分が一ミリもないかといえば、そうでもないと思うんです。カルトを単純に邪悪なものとして描くより、どうしてそれが生まれてきたのかを描いていきたい。意図せざる結果を招いてしまって嘆いている人がいるなら、そこに注目したいと思っています。
――四番目のエピソード「パラダイス・ロスト」の主人公は、熊本からケーキ職人を目指して上京した内気な青年。家族との幸せな暮らしは、妻がシンラの教えに心酔するようになって崩れていきます。この章にはある“仕掛け”があって、途中であっと驚きました!
葉真中 普通、小説でサプライズを仕掛けようとする場合、作中に伏線なりトリックなりを作るわけですが、これはそういう仕掛けとは違います。わたしたちが現実世界で経験していること、知っていることを伏線として利用する手法ですね。オーソドックスなミステリーの仕掛けとはいえないので、どう受け止められるか不安ですが、自分では冒険ができたかなと思っています。
――作品のジャンル自体も、これまでの社会派ミステリー路線を引き継ぎながら、よりジャンルミックス的なエンターテインメントになっているように感じました。
葉真中 最初はもうちょっとミステリー寄りにしてゆくつもりだったんですが、物語を作っていくうちに段々そういうところからずれてしまいました。ジャンル分けするなら犯罪小説かなと思うんです。どの章でも何らかの犯罪が描かれていますから。その意味では広義のミステリーですし、エンターテインメントであることは間違いない。ただトリックが炸裂するような作品ではないので、新しいことに挑んだという実感はありますね。
――さらに驚いたのは、ある女性の死を描いたエピローグの展開です。タイトル『コクーン』に込められた意味が明らかになる、壮大なアイデアに圧倒されました!
葉真中 このラストは読者によっていろいろな受け止め方があると思います。身勝手な救済じゃないかととらえる人もいるかもしれない。それは予想しています。でもフィクションだからこそ、現実では許されない形の救済も描くことができるはず。そうすることで初めて見えてくる世界もあると思います。わたし自身はこのラストを書いて、自由を感じました。わたしたちが生来的に縛られてしまうモラルや常識を取っ払ったところにある自由に、ちょっと指先が触れたような気がしたんです。
――人間らしく生きることと、モラルや良識との軋轢。これまでお書きになった『ロスト・ケア』『絶叫』とも共通するテーマですね。
葉真中 自分では少しずつ進化しているのかな、と思っています。『ロスト・ケア』は良識の内側で生きている人間が、それを犯罪者に揺るがされる話で、『絶叫』は善悪の壁を突破してゆく話。『コクーン』になると善悪という二項対立が無効化されるような話になっています。興味がある方はぜひ、この機会に三冊まとめて購入して、読み比べてみてください(笑)。
――今作には、紙の本ならではのボーナストラックがあるとか。
葉真中 原稿を読んだ方から「ある登場人物のその後が気になる」という意見をいただいたんです。自分としてはすべて書ききったつもりだったんですが、そういう意見もあるのかなと。ただそれを本編に入れるのは違う気がしたので、その後のエピソードを単行本の表紙に刷ってもらうことにしました。本編を読み終えた方は、カバーを外していただくと、また違った読後感が楽しめるようになっています。電子書籍や文庫版には入らないので、環境が許す方は単行本で読んでいただけると嬉しいです。
――ある登場人物が「この世界は狂った神がつくった〈悪の世界〉なんだ」と発言しますね。暴力や貧困や差別が絶えない世界は悪なのかもしれない。本書はそうした考え方へのひとつの回答になっていて、感動しました。
葉真中 海外のテロ事件の報道などを見ていると、どうしてこうなるんだろうという暗澹たる気持ちになります。子どものような意見ですが、さすがにひどすぎると思う。もう少しましな世界はないものだろうか、という思いがモチベーションになっているのは事実ですね。せめて想像力の中でだけでも、このひどい世界を慰めたい。こんなことを言うと、ポジティブに平和を訴えるような作品を書いたように聞こえますが、実際読んでいただくと決してそんなことはありません(苦笑)。でもなぜか元気が出る作品になっているとは思います。自分で読み返していても、なぜか開放的な気持ちになれるんですよ。
――本書を手に取る方にメッセージをお願いします。
葉真中 各章は細かなエピソードを介してつながっているので、長編としても楽しんでもらえると思います。描かれる人生を自分に置き換えながら読んでみてほしい。オーソドックスなミステリーとはやや毛色が異なりますが、エンタメであることは間違いないので、楽しんでいただくのが一番ですね。
葉真中顕(はまなか・あき)
1976年東京都生まれ。2012年介護問題をテーマとした『ロスト・ケア』にて第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、ミステリー作家としてデビュー。ひとりの女性の堕ちていく人生が話題となった『絶叫』は、吉川英治文学新人賞や日本推理作家協会賞の候補となる。ほかに『ブラック・ドッグ』がある。