〈対談〉保坂和志+山下澄人 「世界を変えるために」

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

しんせかい

『しんせかい』

著者
山下 澄人 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103503613
発売日
2016/10/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

〈対談〉保坂和志+山下澄人 「世界を変えるために」

■ボブ・サップと小島信夫

山下 十年前に、総合格闘家のボブ・サップっていましたよね? 彼はいわゆる「ど素人」なのに身体能力が半端なくて、登場するなり、どんなスーパーチャンピオンも棍棒で殴られたみたいに倒されてしまった。だけどあるときを境にボブ・サップは負け始めて、それがいつかと言えば技術を覚え始めた時なんです。だから僕には、「彼と同じになってしまうぞ」という恐怖心も常にあって、「馬鹿を維持しないと」っていう気持ちが少なからずある。それはそれで、ちょっと大変なことなんですけれども……。

保坂 それは小島信夫に通じるかもしれない。彼は「馬鹿」を維持した。変な人であることを矯正せずに押し通したんです。
 ただ、人間には勉強をして優秀になる人ともともと地頭が良い人の二種類がいて、『しんせかい』のスミトには後者のものがある。たとえば芝居の授業では、台詞の「間」をとることを容易く覚えて、褒められて喜んだりもするんだけど、すぐに飽きちゃう。

山下 それは富良野で実際にあったことで、「間」をとるために数を数えただけなのに「お、良いね」と言われて、そこにちょっとバリエーションをつけたらもっと褒められて、「ああ、もうすごく簡単だな」って思ってしまった。そういうことがすぐに新鮮なものではなくなって、だけど自分が面白いと思わなくなるのと同時に、周りからも「面白くない」って言われ始めたのは、小説を書き始めた頃の感じともよく似ています。

保坂 一方でスミトは、はじめは何とも思っていなかった【先生】のことを知れば知るほど畏れるようになっていく。そして【先生】のメソッドで育つような俳優にはならなくて、むしろ【先生】が見れば「何だ?これ」というような芝居をするようになった。

山下 だから授業を真に受けていた最初の頃よりも、そのあとに続いた時間のほうが今に直結していると思うんですけど……と言葉にしていくと、僕は倉本さんを尊敬していないのかな? 嫌いではないし、むしろ、好きなんですけど。

保坂 いや、その感じはわかる。俺にとってはその対象が小島信夫で、彼が最も偉大な存在だけど、「尊敬しているか?」 と聞かれたらそうじゃない。そもそも人が「尊敬」していると思っている相手の言葉に一生懸命耳を傾けていたとしても、大体の人はそれを自分にとって都合の良いかたちに解釈して、逆に消化しないまま持ち続けているということができないんじゃないかとも思うんです。

山下 単純に、そういう対象がいると便利なのかもしれませんね。表面上、言われることをただ聞いていれば良いから。

保坂 だけどスミトは、【先生】が自分を褒めていたことを人伝に知って、それを故郷の友人に葉書で知らせてもいるんです。そして、のちに「人に褒められたのははじめてだった」と小説に書いてもいる。初めてなら、それはとっても嬉しいものだったんだろうね。なにしろスミトは、褒められにくい人間なんだから(笑)。

山下 だってそれまでは本当に、人に褒められることなんてなかったし、排除されたり、理不尽な暴力を受けることがほとんどで、ごくたまに僕の機嫌を取るために褒められるようなことというのはありましたけど、そうじゃないかたちで褒められる体験は、これが初めてだったんです。だから僕が今こうして続けていられるのも、そのときの喜びに背中を押されてのことだと思ってて、そこは疑っていないんです。だから、倉本さんのことは……。

保坂 うん。そこから先は、この小説を読めばわかる。スミトが、自分の何気なく言った言葉が【先生】を「怒らせた」のではなく「傷つけた」と気づいてから和解に至るまでの場面が、僕はすごく見事だと思った。山下澄人はこんなこともできるのかって。エピソードとしては短いのに、スミトが【先生】を大事な人だと思っていることがよく表れている。

山下 そう、倉本さんに対する気持ちって、それなんです。「怒らせてしまった!」というよりも「傷つけてしまった」「ああ、申し訳ないことをしてしまった」の繰り返しです。

新潮社 新潮
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク