『桜疎水』
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十年ぶりの桜疎水――『桜疎水』刊行エッセイ 大石直紀
[レビュアー] 大石直紀(小説家)
「疎水」とは、灌漑や発電に使う水を通す目的で人工的に作った水路のことをいうが、京都市内には、この疎水沿いに続く桜の並木道がいくつかある。中でも有名なのは、言わずと知れた「哲学の道」。疎水に沿って伸びるこの小道は、毎年の桜の時季、観光客でラッシュアワー並みの人出となる。
哲学の道とは逆に、観光客がほとんど訪れない疎水の道もある。京都市北部に位置する「松ヶ崎疎水」。ここは、観光スポットが近くにないせいか、歩いているのはほとんど地元の住民だけだ。しかし、幅五メートルほどの疎水に沿って一・五キロほど続く桜並木の美しさは、哲学の道に勝るとも劣らない。
もう十年以上前の、桜が満開の頃――。初めて松ヶ崎疎水沿いの道を歩いた。そして、そのときの感動が忘れられず、私はこの地を舞台にした短編小説を書いた。「二十年目の桜疎水」というタイトルの純愛小説で、自分ではとても気に入っていた。ただ、当時の私には小説誌からの執筆依頼はほとんどなく、あったとしても、求められるのはミステリーの短編に限られていた。
結局、発表する機会を得られないまま、ときは過ぎた。仕事もほとんどなくなり、アルバイトで生計を立てるような日々の中、そんな作品を書いたことさえ実は忘れかけていた。
ところが去年――。久し振りに「小説宝石」に書いたミステリーの短編(「おばあちゃんといっしょ」)が、思いがけなく「日本推理作家協会賞短編部門」を受賞することになり、短編の作品集を出そうということになった。そのとき、記憶の底から、昔書いた作品のことが甦ってきた。
そして今回、『桜疎水』というタイトルがついた作品集の中に、この短編が収録されることになった。しかも、桜の時季の刊行となる。
十年越しの念願が叶って、今は感無量だ。