桐野夏生が描く“連合赤軍事件” 元メンバーに蘇る過去の記憶

レビュー

5
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夜の谷を行く

『夜の谷を行く』

著者
桐野 夏生 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163906119
発売日
2017/03/31
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

連合赤軍事件を題材とし、時の谷間に残された孤独を描く

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 時の谷間に一人取り残されたら、この主人公のような底知れない孤独を味わうことになるのだろうか。

『夜の谷を行く』は、桐野夏生が連合赤軍事件を題材とし、平成の今から昭和の時代を振り返ることにより、記憶に焼き付けられていたはずの光景が無残に色褪せた様を晒していることを冷徹に描いた小説である。実在の人物の消息が取り沙汰される、疑似ドキュメンタリーのような側面もある。しかし、煽情的な事件の再現フィルムを目指してはいない。冒頭に書いたような寒々しい心象風景が、この小説を読む人の脳裏には再生されるはずである。

 主人公の西田啓子が一人で暮らしているアパートから物語は始まる。教員免許を持つ啓子はかつて学習塾を経営していたが少子化の煽りを受けて廃業し、今は年金の受給と貯金を取り崩すことで生計を立てている。月額六千五百円のジムと一日一本の発泡酒がささやかな楽しみだ。係累と呼べるのは妹の和子とその娘の佳絵のみ。両親はすでに他界し、親戚からは縁を切られた。いわゆる山岳ベース事件、連合赤軍が山中のアジトで引き起こしたリンチ殺人の共犯者として裁かれ、服役したためだ。

 啓子はかつての仲間の没年月日を記した点鬼簿を作っている。そこに十六番目の名前を追加する日がきた。連合赤軍最高幹部の永田洋子が二〇一一年二月五日に拘置所内で死亡したのだ。それと前後して啓子に古市というフリーライターが接触を図ってくる。彼女の背後から過去の記憶が追い付いてくるのである。

 啓子は事件を軽々しく語られることに強い忌避の感情を持っている。現在の生活を守りたいという保身だけが理由ではなく、事件を再構成した言葉が空虚なものにしか聞こえないからだ。当時はまだ生まれていなかった姪にとって、啓子たちは片仮名書きの「サヨク」である。具体性を喪失した言葉の中に自分たちの存在がくくられていく。しかし啓子自身も、必死にその時その時を生きていた過去の自分からは変質しきっている。過去の光が閃くたびに自身の現在を照らし出され、彼女は慄(おのの)く。その態度は読者に、封印された秘密の存在を予感させるだろう。

 四十年の時の流れによって風化したものを構図の中心に置き、同時に個人の思いが永続せず、やがては劣化して意味のない言葉の連なりになっていくという残酷さをも作者は描いていく。忘却という甘美な装置を取り払ったとき、現実はグロテスクな貌(かお)を剥き出しにするのだ。

新潮社 週刊新潮
2017年4月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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