『ショートショート・BAR』
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憧れのマジシャンへ――『ショートショート・BAR』著者新刊エッセイ 田丸雅智
[レビュアー] 田丸雅智(ショートショート作家)
はじめてバーを訪れたのは、二十四か二十五歳のときだったと思う。当時、バーを舞台にした「海酒」という作品で賞をいただいたあとではあったが、恥ずかしながら、じつは実際にバーへ行ったことはまだなかった。
お兄さん的な先輩に連れていってもらったのは、銀座のバー。大人の世界へ初めて足を踏み入れる緊張感と、そんな場所で変な振舞いをしないだろうかという不安感に苛まれ、挙動不審に陥った。
そのバーにはメニューはなく、先輩が簡単な味の好みを伝えるだけでマスターは静かに微笑みながら頷いた。ぼくもオドオドと先輩を真似て注文すると、やがてお酒が差しだされ、カウンターに落ちる灯りにグラスを掲げながら恐る恐る口へと運んだ。緊張で肝心の味はよく覚えていないのだけれど、とびきりうまかったことだけは覚えている。
マスターは注文があるたびに、バックバーにずらりと並ぶボトルの中から迷いもなく一本を手に取り、お酒をつくった。上品な所作で、あれよあれよという間にグラスに極上の一杯をつくりあげていく光景は、まるでマジックを見ているようにも思われた。
ぼくにとってのバーとは、いまでも魅力的な魔法にあふれた場所であり、マスターは憧れのマジシャンである。
拙著『ショートショート・BAR』には、バーを舞台にした作品もいくつかあるが、多くはバーとは無関係。けれど、この本を編むにあたって、ぼくは恐れながらバーの一日マスターを務める気持ちで臨んだつもりだ。お客さまからのリクエストは「お任せで」。こちらの力量が問われる難問に、自分なりのとびきりの一杯をひたすら目指した。
お酒の味わい方というのは人それぞれ、それこそ無限だ。
この短くて不思議なショートショートという名のお酒が、もしもあなたの人生を彩る一杯になったなら――そんなに嬉しいことはないし、今後もどうか、うちの店をご贔屓に。