『カンパニー』
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上半期No.1の面白さ絶対保証!
[レビュアー] 藤田香織(書評家・評論家)
読み終えた瞬間、「うおぉぉぉぉ……!」と、腹の底から自分の歓喜の声が込み上げてくるのを堪えきれない小説、というものに時々出会う。
もちろん、世の中にはそんな衝動とは無縁の、じんわりしみじみ地味いい小説というものもある。でも、興奮して、無邪気に叫びだしたくなるような小説には、それとはまた違った幸福感があるのだ。書評家という仕事柄、出会ったからには、できるだけ多くの人にその喜びを伝えたい! と思うのだけれど、これがまた厄介なことに、そうした小説は「面白かったー!」と言う以外、なんだか言葉が見つからなくなる。小学生にも劣るが、言葉を尽くせば尽くすほど、何かが薄まる気がしてしまうのだ。
でも、だけど。その単純すぎる感想が、時間と共に心のなかで膨らんでいく。むくむくと多幸感が広がっていく。本書は、そんな実に希有な物語なのである。
『カンパニー』というタイトルが示しているのは、ふたつの場所だ。ひとつは、戦前から配置薬を中心に事業を展開し、近年は積極的に異業種企業買収を行い規模を拡大させてきた「有明製薬」改め「有明フード&ファーマシューティカルズ」。創業百周年にあたる今年、社名を変更したばかりで、更に製菓会社を吸収合併し、大幅な社内改革にも乗り出していた。物語の視点人物となる社員の青柳誠一と瀬川由衣は、その余波を受け、リストラ候補に挙げられ出向を命じられる。ふたりの行き先が、もうひとつの場所である敷島バレエ団だ。
有明製薬は今回の社名変更のキャンペーンに「黒髪の貴公子」「世界の恋人」と称される世界的プリンシパル高野悠を起用していたのだが、その最後を飾るイベントとして、年末に高野が敷島バレエ団に客演する公演を特別協賛することが決定していた。長年、総務畑を歩んできた青柳はその調整役を、健康増進課のスポーツトレーナーである由衣は高野の身体のケア役を命じられるのだが、公演が失敗に終われば社内に戻るべき席はないと言い渡される。ところが、来日した高野悠は、早々に腰を痛め満身創痍であることが発覚。予定していた「白鳥の湖」の王子役を踊りきる自信がなく、脇役に回りたいと言い出した。しかし、公演は高野が主役であることを前提に企画され、大きな会場も既に手配済み。敷島バレエ団は現社長の娘・有明紗良がバレリーナのトップを担っているという縁で有明製薬から支援を受けている小所帯のカンパニーで、観客動員は期待できない。高野が主演しなければ、公演の成功は有り得ない状況だった。
働く場所を失いかけている青柳と由衣。ダンサーとしての「限界」が見えてきた高野。運命の年末へ向け、六月から月日を重ねていく物語は、ある種、登場人物たちの「終わりの始まり」という一面もある。ある日突然、妻に〈すべてがいやになった〉と言われ娘を連れて出て行かれた青柳は、このうえ職を失ったら働けない自分に価値はあるのかと思い悩むが、由衣も高野も、そのほかの人々も、同様に自分の「価値」を問い続ける。求められていること、自分が出来ること。追い求める場所、追われる場所。才能、能力、自分の「居場所」はどこにあるのか――。
NHKでドラマ化もされた『四十九日のレシピ』や山周賞&直木賞候補にも挙がった『ミッドナイト・バス』、個人的には年間ベスト級だった『なでし子物語』など、誤解を怖れずに言えば、これまで伊吹有喜の小説は、「地味いい」系譜に属していたように思う。派手さはないが、読者の心に深くゆっくりと染み入る物語を、好ましく感じていた人も多いはず。
けれど本書には、人の弱さや狡(ずる)さや優しさや強(したた)かさといった細やかな心情描写はそのままに、スポーツ、芸能、芸術、演劇、社会、ひいては人生の酸いも甘いも、抜群のエンターテインメント性をもって描かれている。加えて、存在としては憎まれ役の代役王子・水上那由多(なゆた)と、「金で買った主役」を演じ続ける紗良のある場面は、憎らしいほどの胸キュン度だ。努力、情熱、仲間。青臭い言葉に泣きたくなる。レッスン、パッション、カンパニー。硬化しかけた大人心に火を点ける。「終わりの始まり」なんかじゃない。続いていく世界を信じたくなる。面白いよ! 面白いから! 自信を持って何度でも繰り返して叫びたいと思う。