宮部みゆきのこの短篇がスゴイ! その6――作家生活30周年記念・特別編

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宮部みゆきのこの短篇がスゴイ! その6――作家生活30周年記念・特別編

[レビュアー] 佐藤誠一郎(編集者)

 今年、作家の宮部みゆきさんが、作家生活30周年を迎えられます。この記念すべきメモリアルイヤーに、宮部みゆきさんの単行本未収録エッセイやインタビュー、対談などを、年間を通じて掲載していきます。今回は特別編として新潮社で宮部みゆきさんを担当して25年の編集者で、新潮講座の人気講師でもある佐藤誠一郎が数ある名短編の中から選りすぐりの作品を紹介します。

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 前回まで現代ものばかりを取り上げて時代小説には触れずに来てしまいました。

近年の宮部さんは、時代小説家と言っていいくらい時代物をたくさん書いておられます。短編時代小説のガイドという主旨から言って絶対外せないのが、今なお続々と新刊が出ている「三島屋変調百物語」のシリーズです。その冒頭を飾った短編集『おそろし』は、昨年NHKでドラマ化され大いに評判をとりましたからご存じの方も多いのではないでしょうか。

 この中からどの一篇を選んでご紹介するか、とても悩ましいところですが、「百物語」が語られるに至る経緯を踏まえた作品として『おそろし』の中の一編「邪恋」を取り上げようと思います。

 主人公のおちかは、川崎宿で旅籠を営む実家で、自分も当事者の一人となった殺人事件を経験したことから、神田の三島屋に預けられ、修行の身です。三島屋はおちかの叔父である伊兵衛夫婦が営む袋物屋。叔父はおちかを預かってから百物語の場「黒白の間」を邸内に設けることを思い立ち、おちかはそこを訪れる客から怪異譚を聞き届ける役回りとなります。

 この世の怪異を身を持って体験した人がいかに多いかを知ることで、おちかの目が開かれ、彼女が立ち直ってくれると期待しての伊兵衛の深謀遠慮だと次第に分かってはくるのですが、持ち込まれる物語はいずれも許容限度すれすれに怖ろしい……。

 と言うのは、各話の内容が怖ろしいばかりでなく、その語り手と語られるおちかに深く絡みついてくるような設定が常に用意されているからなんです。

 「邪恋」は、シリーズ名に「変調」の名がつくとおりの一編で、おちか自身の体験が語られています。話の主軸となる人物は、彼女が川崎にいたころ、ある異常な経緯から、拾われておちかの実家に迎えられた松太郎です。おちかは、兄と松太郎と兄弟のように暮らしていた。長ずるに及んでおちかと松太郎はお互いに憎からず思うようになった、らしい。しかしもともと素性の知れない松太郎は、奉公人だか養子だか分からない曖昧な立場のままだったので、おちかに縁談が持ち込まれるようになると、一家の人間関係が微妙に揺らいでくる。そんな状況の果てに凄惨な事件が起こってしまいます。

 話をごくごく単純化すると、そんな流れから松太郎の鬱憤が暴発したというふうに捉えられがちだけれど、事はそんなに簡単なものではない……。

 この作品は、おちかが、寡黙な松太郎の心中を推し量ることで、惨劇に至る動機がどのように形成されていったのかを克明に辿ります。ここが人間心理の綾を捉えて滅法面白い。事件発生時のおちか自身の言動をも俎上に上げて、今の自分にしてやっと見えてきた事件の構図を分析し「解決編」を語るのです。

 このあたりは、独立系短編では味わえない、シリーズもの連作長編としてのマグマのような基底部が顔を出していて、空恐ろしくなります。

 『おそろし』は、角川文庫と新人物ノベルスで刊行されています。続編の『あんじゅう』『泣き童子』は角川文庫、『三鬼』は日経新聞社の単行本でお求めになれます。

Book Bang編集部
2017年8月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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