『長い長い殺人』
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宮部みゆきのこの短篇がスゴイ! その12
[レビュアー] 佐藤誠一郎(編集者)
短編の連作というスタイルについては前回触れましたので、いよいよ最終回の今日は、「連作長編」をご紹介しようと意気込んでいます。
標的は『長い長い殺人』。なぜ意気込んでいるかというと、この作品が、ある名作長編のプロトタイプとなっているからです。そのお話はこのあとゆっくりと。
まず驚くのは、この連作長編の語り手をつとめるのが「財布」だという点です。刑事の財布、強請屋の財布、少年の財布、探偵の財布、目撃者の財布、死者の財布、旧友の財布、証人の財布、部下の財布、犯人の財布――計十個の財布が視点人物(!?)となっている。十個の財布の語るそれぞれ完結性のある物語が、底流するテーマに従って連鎖してゆき、最後に犯人が鎌首をもたげる、という構成になっています。
宮部さんには、元警察犬だったマサを語り手にした『パーフェクト・ブルー』という作品があり、ここでは漱石と同じくいわゆる擬人法が使われています。マサである「俺」が語り出すスタイル。ですが、もともと宮部さんは、長編小説ではほとんど一人称を使わない作家ですね。これまでお読みになった作品を思い出してみてください、そういえば……と思い当たるはずです。財布が主人公になって「私」「ボク」「あたし」というふうに語り出す『長い長い殺人』も例外に属します。
一般的には、こうした「物」は「プロップ」と呼ばれ、物語を水面下で推進する小道具にとどまるものですが、財布の語りとは思い切った着想です。財布のたたずまいに合わせて性別すらあるし、語り口調もそれぞれ全く違ったものになっている。それに、財布には財布の「運命」まであるのです。
さて、この連作長編が扱う事件は保険金交換殺人です。各短編に、決して解決しない滓のようなものが残り、それが溜まってゆく。その中核にあるのがこの犯罪です。
そして肝腎の犯人像ですが、そのイメージは『模倣犯』の真犯人を思い起こさせます。二十世紀最大の「疑惑の人」と言えば三浦和義ですね、例の「ロス疑惑」の渦中にあった人。冤罪の被害者としてテレビに生出演して脚光を浴びたことは記憶に新しいと思います。
目立ちたがり屋で冷酷非情。しかしその心の奥底を覗いても、タマネギの皮を剥くようにどこまで剥いても芯が出てこない。宮部さんが時折使う「虚」(うろ)という言葉が相応しい人物ですけれど、宮部さんはあの三浦和義をルーツとするような犯人像を『長い長い殺人』で登場させているのです。
「自己表現したい人間の暴走」というテーマは、以前チラリとご紹介した『燔祭』(光文社文庫)や『英雄の書』(新潮文庫)にもつながりますから、宮部さんの終生のテーマと呼んでいいんじゃないでしょうか。
この作品の冒頭を飾る「刑事の財布」が別冊宝石に発表されたのが1989年。まだデビューしたての時期で、連載終了後、光文社から単行本化されたのが1993年のこと。その後2007年にWOWOWでテレビドラマ化された人気作品ですけれど、『模倣犯』とのつながりを考えると、宮部さんって最初から「末恐ろしい」作家だったわけですね。