と思いきや、思いきや

レビュー

16
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

双子は驢馬に跨がって

『双子は驢馬に跨がって』

著者
金子 薫 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309026053
発売日
2017/09/22
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

と思いきや、思いきや

[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

 この小説、好きすぎて何から語ったらいいかわからない。ミイラ取りがミイラになる、すなわち没入と忘却を一つの主題として変奏されていく物語だ。
 メタ・ハイブリッド寓話、あるいは思い切って喩えるなら、イタロ・カルヴィーノ(っぽい作家)が書いた「ヘンゼルとグレーテル」?そのうえ「わらしべ長者」や「ジャックと豆の木」や「青い鳥」や「ドン・キホーテ」を思わせるところもあり、寓話の普遍像を抽出したようでもある。
 視点は主に二組の人々の間を往き来する。一つは、深い森の「ペンション」に監禁されている父と息子。森に消えた父を探しにきた息子も、いまでは森に囚われているというわけだ。ふたりとも自分の名前を忘れており、父は「君子危うきに近寄らず」という仮名を名乗り、息子は「君子」と名付けられる。さて、このふたり、いつか双子の「みつる」と「ことみ」(チルチルミチルを想起させる)が驢馬に跨り自分たちを救いにくる、と無根拠に信じこんでいるのだが、ここで「なぜに双子?」とか「なんで馬じゃなくて驢馬なの?」と問い詰めても仕方ない。ロバも男女の双子も、イソップ童話やグリム童話など寓話の世界には必須アイテムなのだから。
 ところが、本作、アイテムや設定は完璧に寓話でありながら「寓意のないナンセンス寓話」なのである。ナンセンスな寓話なんてほとんど形容矛盾だが、死体と探偵と凶器と指紋と血痕と怨恨とすべて揃っているのに事件にならないミステリー……ま、ちょっと違う気もするけど、そのような感じです。ともあれ、第二の視点者はこの双子である。
 父と子は壁にペンション周辺の地図を描きだす。「記憶だけでなく願望と空想までが際限なく生まれ落ちて形をとり、細部への上書きは注釈をつけるようにして」書かれるあたりなど、どことなくナボコフィアン・タッチだ。さらには、「双子を待つというよりも、自分たちの描いた地図のなかに彼らを探しにいくようにして」現実と虚構の逆転が起き、彼らが自らの創造物にとりこまれていくさまが描かれる。一方、旅に出た双子は寄り道ばかり。ある家では何年も養豚業を手伝い、名士の邸宅でもてなされ、ジャムとバターという浮浪者とフルカワという牝駱駝を道連れにしたりする。いかにも物語を大きく動かしそうな同行者ができたところで、このふたりと駱駝は突如、「言わば砂を被った本、開かれた書物のなかへ姿を隠した」と、ボルヘス的残り香とともに、砂漠のむこうへ去っていくのであった。
 一体、やつらはなんだったんだ? と、呆然としているうちに、双子は自分たちの辿ってきた道の地図を描きだす。おおっと、それは君子親子の行為をなぞり、描かれる者から描く者へと、地図を読む者から描く者へと反転する“スリリングな語りの仕掛け”か? よーし、いよいよ来た! ……と思いきや(本作、「と思いきや」の連続である)、そのころ、救出されるはずの父子は囲碁に夢中になっており……。あらら?
 いやいや、愉快、痛快。寓意はことごとく頓挫し、説話は脱構築される。物語的必然性なるレールからは脱輪しっぱなし。金子薫らしい、虚構純度の高い物語世界をぞんぶんに堪能できる作品だ。

河出書房新社 文藝
2017年冬号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加