主婦から小説家へ──第54回文藝賞受賞作『おらおらでひとりいぐも』刊行記念対談

対談・鼎談

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おらおらでひとりいぐも

『おらおらでひとりいぐも』

著者
若竹 千佐子 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309026374
発売日
2017/11/17
価格
1,320円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

主婦から小説家へ──『おらおらでひとりいぐも』刊行記念対談

[文] 河出書房新社

 主婦から小説家へ

保坂 六十歳を過ぎてから小説家としてデビューしたというのは、すごく大きな出来事です。デビューしてしまうと小説家としての人生になるし、そうじゃないと、いくら妄想が強くてもそうはならない。七十五歳でデビューした黒田夏子だって、ずっと同人誌で書いていたわけだから、小説家としての人生を生きていた。だから、六十歳まで小説家じゃない人生を生きてきた人というのは、作家としてはまれなんだよ。若竹さんは小説家じゃない人生を生きながら、家族や自分を観察してきた。子育ても済ませた。こんな作家はいないから、これから若竹さんの作品から何が出てくるのかわからない。楽しみです。
若竹 私、本当のことを言うと、いまがいちばん賢いような気がしてるんです。若い頃は馬鹿だったなって。若い頃は見えるものしか見えなかった。いろんな体験をして、自分の心には様々な気持ちがあったのかと認めるところから出発した気がします。そういう気持ちに気づいて、自分を鼓舞したり卑下したりしながら年をとってきました。
保坂 やっぱり長年生きていると、そういうことが一様にはならないんだよね。
若竹 女の人生は、娘の時、妻の時、独り生きる時の三期に分けられると思う。今の若い人たちはまた別かもしれないけれど、私の年代だと当てはまります。桃子さんにとって周造は第二期を共に生きた人だったと相対化して初めて、悲しみを乗り切れたと思えます。夫への思慕と、これから私が一人で生きるんだという、この二つの思いが常に共存しています。
保坂 周造が死んだのは、桃子さんが五十代の時ですね。七十代まで旦那に生きられたら、妻は次の人生を始められない。妻想いの旦那だよね(笑)。
若竹 本当にそうですよね(笑)。桃子さんは、周造が死んで本当に悲しかったけれど、同時に、道が開けた喜びみたいなものを感じている。その感じを認めることで、こうして出発できたんだと思います。先ほどのばっちゃんの話もそうですが、すべての元凶は、自分の本来の欲望を見失って人の期待を生きて、自分を苦しくさせてしまうことにありそうな気がします。周造に対してもそう。周造が生きている時は、旦那を支えるのが人生の第一義だと考えていた。愛ってホントに何だろう、と考えてしまいます。人間の心って、プレートが何重にも重なるように出来ていて、本当に深いところの気持ちというものを本人は見ないようにしているけれども、その気持ちがあるということ、知ってるよと、そう言ってくれる存在が桃子さんの中にはいっぱいいるんです。たしかに七十代まで嫁の時代をひきずられていたら、桃子さん、ちょっと無理だったかもしれない。
保坂 この小説は、周造のくだりで深みにはまっていたら出来上がらなかったかもしれないと思う。
若竹 そうですね。先ほど、私は夫が亡くなった時に悲しみと同時に道が開けたのを感じたと言いましたけれど、それはどこかで、これから私は自分の人生の主体者として生きられる、というような気持ちがあったということなんです。それまでの私は夫を支えることに一生懸命で、何だか自分は半分しか生きていないな、みたいに感じていた。それが客観的にわかるまでに、八年かかったんだと思います。いま思えば、夫が亡くなったのは私に小説を書かせるためだったんじゃないかって……。七十代だったら、そこから小説を書くかどうか、とにかくいまとはまったく違うだろうと思います。それは桃子さんもおなじことのような気がします。子どもの自立と周造の死によって、「親」や「妻」といった、世間から必要とされる役割はすべて終えた。桃子さんは自分のことを、世の中の役に立つことなどできない無用の人間とみなしていて、それでも感じたり考えたりして自己完結している自分を、どこか納得している人物なのかなと思います。「きれいさっぱり用済みの人間」だから、もう桃子さんのしきたりで生きればいい。「おらはおらに従う」と。
保坂 そのくだりから、周造のお墓参りへと続いていく。ここから、問いや意味を杖に、導入で描いた晴れ晴れしたイメージへと、また這い上がっていくんだよね。そうやってまた開けていった。それが僕のこの小説の印象で、僕は導入と最後が好きなんです。デビュー作にふさわしく、小説を書いていくという行為が、ストーリーに反映されているんだよね。僕の持論では、とにかく現状で書けるものを全部盛り込まない限り、次の作品は書けない。出し惜しみする人は、第二作は書けない。
若竹 ああ、なるほど。第二作ってほんとうに、どうしたらいいんでしょうか?
保坂 そのうちに出てきますよ。出し惜しみしないで力を振り絞る経験を経たことが大事で、小説家になる前にネタだと思っていたものはネタではないんです。逆に小説家になると、それまでネタだと思っていなかったものがネタになる。感覚が変わってくるから、題材はどんどん出てくる。それに、自分の書いたものが雑誌に載って本になるのはすごい励みになるから、最初の五年、十年はコンスタントに手が動く。たとえ反古になっても、手は自然と動き続けるから大丈夫ですよ。
若竹 ありがとうございます。何よりの励ましです。これから何が生まれるか全くわからないけれど、小説に誠実であろうと思います。怠けないで小説と一緒に年をとっていけたらなと思っています。本日はありがとうございました。

河出書房新社 文藝
文藝2017年冬号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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