推理は正確無比な時計のように

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ミステリークロック

『ミステリークロック』

著者
貴志 祐介 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041044506
発売日
2017/10/20
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

推理は正確無比な時計のように――【書評】『ミステリークロック』千街晶之

[レビュアー] 千街晶之(文芸評論家・ミステリ評論家)

 普段は犯罪トリックを紙上で披露しているミステリ作家がもし実際にそのトリックを実行に移した場合、完全犯罪に最も近いところまで行けるのは貴志祐介ではないだろうか。そんな物騒なことを想像してしまうのは、『硝子のハンマー』『狐火の家』『鍵のかかった部屋』と続いてきた「防犯探偵・榎本」シリーズの完成度が理由だ。防犯コンサルタント(実は泥棒)の榎本径と、天然系弁護士・青砥純子が密室事件の謎に挑むこのシリーズ、実際の犯罪者がここまで頭が良かったら警察もお手上げではないかと思えるくらい、巧妙かつ成功度が高そうなトリックが次々と登場するのである。

 シリーズの待望の新刊『ミステリークロック』には四つの中短篇が収録されており、いずれも趣向を凝らした密室の謎で読者の頭脳に挑戦している。

 冒頭の「ゆるやかな自殺」だけ純子が登場しないけれども、それも当然、現場は武闘派ヤクザの事務所、登場人物は全員ヤクザかその身内。下手な推理を披露すれば命の保証はないとあって、さしもの榎本も肝を冷やしながら謎解きに勤しむのが可笑しい。犯人が最初から判明している倒叙スタイルだが、どのような方法で被害者を死に至らしめたかは伏せられており、トリックはシンプルかつ印象的だ。

 この「ゆるやかな自殺」と二篇目の「鏡の国の殺人」は、かつてこのシリーズが『鍵のかかった部屋』としてドラマ化された際に既に原作として選ばれている。美術館で起きた殺人事件の容疑者として榎本が窮地に陥る「鏡の国の殺人」は、犯人がどうやって監視カメラを潜り抜けて現場に到達したかがメインの謎だ。タイトルはもちろんルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』をもとにしており、エキセントリックなルイス・キャロル研究家が登場することもあって、他の作品よりもファンタジー的な雰囲気を感じさせる。

 巻末を飾る「コロッサスの鉤爪」で描かれるのは海上での殺人。密室というイメージとは一見程遠い開放的な現場だが、実は容疑者は気圧の差でアリバイが成立しており、しかも誰かが被害者に近づけば必ず記録された筈の音がない……という難攻不落のシチュエーションだ。しばらく前にNHKの番組でも話題になった巨大イカが容疑者(?)として浮上するなど奇想天外なイメージで彩られており、そのぶん純子の推理もあちらこちらへと迷走する。

 さて、本書の中でも白眉と言える内容なのが表題作の中篇「ミステリークロック」だ。ある推理作家の山荘に招待された客の中には榎本と純子もいた。ところが、八個の置き時計の価格の順位を当てるゲームに客たちが興じている最中に事件が発覚。しかも、あろうことか関係者のひとりが猟銃を持ち出して犯人を処刑すると言い出し、強制的に推理合戦を始めさせる……。

 この作品だけ、現場の状況は一見密室ではないように思える。しかし、どういう意味合いで「密室」なのか伏せられているのが肝だ。そして圧巻なのが数十ページに及ぶ解決篇。タイトルがタイトルだし、作中に多数の時計が出てくるので、時計がトリックに関係しているのだろうとは誰にでも予想がつくが、とにかく複雑極まるトリックで、よくもまあこんなことを考えついたと感嘆する他はない。それほどのトリックで完全犯罪を成しとげたつもりの犯人が榎本の推理に追いつめられてゆく過程では、鮮やかな最後の決め手に至るまでのあいだ、時計が正確無比に時を刻む音が聞こえてくるかのようだ。

 こうして通読すると、緻密な物理的トリック、それを考えついた犯人の心理的必然性、そしてトリックと完璧に融合したシチュエーションが三位一体を成しており、およそ隙というものがない。やはり、最も完全犯罪に近い作家は貴志祐介に違いない。

KADOKAWA 本の旅人
2017年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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