『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
身勝手な男の欲望を描きつつ、その奥の詩情を描く
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
男の本音は情けない。さらに言えばあさましく、いじましい。そんな男たちの、苦笑するしかない実態が描かれるのが、東山彰良の連作小説『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』である。
舞台となるのは九州地方にあると思われる某私立大学だ。そこに通う男子学生を代表して有象くんと無象くんの二人が狂言廻しの役を務める。命名からも判る通り、彼らの描かれ方は非常に戯画的である。これは他の登場人物にも徹底されており、男たちを翻弄する美女を巡る物語「ビッチと呼ばないで」では有象無象の二人の他に、オレ様くん、束縛くん、勘違い先輩、都合良男(つごうよしお)先輩の四名が、それぞれの情けないやり方で報われない一人相撲を取る。
落語の「三枚起請(さんまいぎしょう)」よろしく男たちを手玉に取る女性・ビッチちゃんは、別に悪女の振る舞いをしているわけではない。男たちの思い込みが彼女に〈ビッチ〉の名を与えているだけなのだ。世の中には〈~系〉といった実態のよくわからないカテゴライズが溢れている。また〈女子会〉のように「女子はこうするもの」という決めつけも頻繁に行われる。そうした幻想が、本書の中では象徴化して描かれる。サークル内の恋の鞘当てを描いた「あの娘が本命」の女性登場人物は、本命ちゃんと引き立て役ちゃんだ。なんと身も蓋もない命名、男の本音であることか。
東山の出世作は第百五十三回直木賞を授与された『流(りゅう)』である。台湾生まれという自身の出自を題材にした年代記小説であるが、作中では中森明菜「セカンド・ラブ」が効果的に引用されていたのが印象に残った。ポップ・カルチャー要素をここぞというところで出す作家なのだ。本書でも大学の闇ギャンブル・サークルについての物語「スペードのエース」におけるロックバンド、モーターヘッドの使い方が抜群に巧い。
また東山は、初期の代表作『路傍』で、現実の残酷さを描きつつ、そこに漂う僅かな詩情を漏らさずに掬い上げる精緻な筆法を完成させ、以降の重要な武器とした。それによって聖と俗の両義性を備えたものを活写することが可能になったのだ。本書でも、この技法は効果的に用いられている。それによって諷刺のとげとげしさが和らげられるのだ。
女たちを支配したい。支配させてくれない女が悪い。そんな身勝手な欲望を描いた作品でもある。現実を映す鏡として私は本書を読んだ。こんな風に見えているんだ、恥ずかしいなあ、とちょっと赤面しながら。