川端康成の名作を書いたのは自分――『本物の読書家』

レビュー

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本物の読書家

『本物の読書家』

著者
乗代 雄介 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784062208437
発売日
2017/11/23
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

読者の存在を揺さぶる「本物の文学」2篇

[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)

 本書は、二〇一五年にデビューした新鋭による二冊目の書物である。

 表題作では、語り手の「わたし」が、独り身の大叔父を茨城の高萩にある老人ホームに入居させるため、上野から電車で同行する。車中で二人はあやしげな男と出会う。この男が開陳する文学関連のマニアックな知識に反応する読書家の「わたし」と大叔父。やがて大叔父の口から、信じがたい秘密が告げられる。

 川端康成の名作「片腕」を本当に書いたのは自分だ、という彼の主張を、テクスト外の事実として認める読者はもちろんいないだろう。だが同時に、この大叔父と「片腕」との関係は、虚構と現実の垣根を越えて、「本物」の読書家のあるべき姿を示唆しているようにも思える。それはただ多くを読む者ではなく、大叔父のように作品をおのれの経験として味わう者、さらには自分の作品として書き直しつつ読む者ではないか。

 書く者と読む者との合一という視点は、次の「未熟な同感者」にも受け継がれている。本作の半分が、主として作家サリンジャーを扱う大学のゼミの授業ノートからなる。講義によれば、サリンジャーは読者が「完全な同感者」(宮沢賢治の言葉)となることを求め、言葉によって書き手と読み手が乖離するのを恐れるあまり、ついには沈黙を余儀なくされたという。

 本作の残り半分は、大学生の「私」(作者のデビュー作『十七八より』の主人公と同一人物)などゼミ生たちによる低俗なキャンパス・ノヴェルである。衒学的な講義が現実の生および性と対照されることで、言葉の虚しさはさらに際立つが、虚しさを実感し、おのれが「未熟な同感者」にすぎないと自覚する「私」は、むしろそれゆえに書くことを選ぶ。

 読むこと、書くことの意味を問う本書は、それを読む者を自己批評へと誘う。読者の存在を揺さぶる本書のような作品こそ、「本物の文学」と呼ぶべきではないか。

新潮社 週刊新潮
2018年2月22日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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