台湾の戦後史と精神性に奥深く触れられる好著

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海峡を渡る幽霊

『海峡を渡る幽霊』

著者
李昂 [著]/藤井省三 [訳]
出版社
白水社
ISBN
9784560095997
発売日
2018/02/17
価格
2,420円(税込)

台湾の戦後史と精神性に奥深く触れられる好著

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 太平洋戦争における日本の敗戦の結果、中華民国の政府軍が上陸。一九四七年二月二十八日、そうした大陸からやってきた外省人による政治の腐敗に反発した本省人が蜂起。この二・二八事件を武力鎮圧した蒋介石率いる国民党は、恐怖政治をしき、激しい弾圧を行った結果、数万もの無辜の人々を処刑した。現在の民主的な台湾になったのは、九六年以降。ほんの最近のことなのである。

 国書刊行会から出ている「新しい台湾の文学」シリーズや、呉明益の『歩道橋の魔術師』など、英米と比べれば少数ではあるものの、精鋭といって過言ではない訳書が出ている台湾文学。なかでも、五二年生まれの李昂(リーアン)は、二・二八事件から高度成長期時代、民主化への歩みをバックボーンにした、懐の深い作風で知られる女性作家なのである。その多彩な魅力に触れることができるのが、デビュー当時から翻訳を手がけている藤井省三が編んだ短篇集『海峡を渡る幽霊』だ。

 金持ちに身請けされた元娼妓の女性の浮き沈みある人生を通して、近代化の波にさらされる台湾と失われつつある伝統社会の明暗を浮かび上がらせる「色陽」。

 幼い頃に母を亡くし、貧しい家だったので、自ら布人形や泥人形を作っていた女性の、母の乳房を恋しく思う気持ちと、アイデンティティの危機を、エロティックで幻想的な筆致で描く「セクシードール」。

 二・二八事件から五十年後にようやく開催されることになった公開追悼会。そのドキュメンタリーを撮ろうとしている監督や、出演する女性作家、抵抗運動を繰り広げた人々にとっての心の支えであり続けた人物、拷問処刑された夫の死体を妻が針と糸で修繕し、その全貌を記録したと言われている半ば伝説と化した写真集のエピソードを重ねることで、いまだ台湾の人々のトラウマであり続けている二・二八事件を多角的に描き出そうとした「花嫁の死化粧」。

 大陸からやってきた漢方医を恨んで取り憑いている妊婦の幽霊と、土地の守り神が対決するさまを、ユーモア交じりのタッチで描き、中国と台湾の関係を暗示する表題作。

 などなど、収録されている全八篇はそれぞれに読み味が異なるものの、通底しているのは社会問題を見つめる眼差しの深さであり、男女のセクシュアリティをめぐる溝であり、過去から逃れることはできない現在という因果のありようだ。日本と関わりの深い国、台湾の戦後史と精神性に触れることができる好著である。

新潮社 週刊新潮
2018年4月19日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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