『無暁の鈴』
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語るなかれ――『無暁の鈴』著者エッセイ 西條奈加
[レビュアー] 西條奈加(作家)
三年前の八月、本作の取材のために山形県鶴岡市に行った。
目的は出羽三山で、編集者に同行いただいたおかげで取材自体はサクサク進み、快適な旅だった。羽黒山の杉並木は美しく、盛夏の暑さをいっとき忘れるほど涼やかで、湯殿山の御神体の正体にも驚かされた。「語るなかれ」とされる古式に則って、私も控えておく。
私にとって、旅と言えば「食」。当然、山形でも気合を入れた。
鶴岡は酒の肴がことに充実していて、新鮮な岩ガキや旬の枝豆は絶品だった。日本海側なだけに、道の駅には見知らぬ魚が並んでいて興味をそそられた。旅グルメの必須と言える、お寿司とラーメンも堪能し、とても美味しいカクテルの店にも出会えた。
大変満足して帰途につき、いざ執筆――。
実際にとりかかったのは、旅の思い出も薄れかけた一年後のことだ。
諸般の事情により――全面的に作家の都合により――連載開始が一年も遅れてしまった。この遅延の悪魔には、その後もしつこく取り憑かれ、『小説宝石』に十二回予定の連載は十七回に延び、毎月のように締切りを過ぎては平謝り。果ては単行本化に際しての加筆修正すらも予定を大幅に超過して、編集・校閲諸氏には、多大なるご迷惑をおかけした。
はからずも友人が、その原因をズバリと指摘した。
「自分の仕事処理能力を、過信してるよね? いい加減、現実を見ようよ」
取材で目にしたときは、イメージがモリモリわいてきて、いくらでも書けそうに錯覚するのだが、いざ机に向かうと遅々として進まない。
できない執筆予定は、語るなかれ――。
お祓いのためにもう一度、出羽三山を訪ねようかと考える、今日この頃である。