『無暁の鈴』
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[本の森 歴史・時代]『無暁の鈴』西條奈加
[レビュアー] 田口幹人(書店人)
記録的な豪雪からはじまった平成最後の一年は、大阪府北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震、そして相次ぐ台風の上陸など、自然の脅威を見せつけられた一年となっている。自然の中において、人間はあまりにもちっぽけなものなのだと痛感した一年でもある。
西條奈加『無暁の鈴(りん)』(光文社)は、庶子として武士の家に産まれ、義母や義兄に疎んじられ寺に修行に出されるも、仏道を捨て江戸へ向かい、ヤクザ一家に居候し、友の仇討ちで人を殺め、流刑の民となり八丈島に流され、22年の歳月を経て、最後は厳しい修行の後、即身仏となった無暁という男の波乱万丈の一生を描いた物語だ。
著者の作品の読後感は、ほっこりと心を温めてくれるものが多いが、本書の読後感はまるで違う印象だった。仏教に希望が見出せなくなり寺を出奔した坊主崩れの、「人は人を救えるのか」という人の生き方の根幹へと向き合う骨太の物語を読み終えたとき、「いま生きているいのち」としっかりと向き合うことの必要性を突きつけられた。
無暁の一生は、幸か不幸かと問われたら、多くの方は不幸であるという立ち位置で読み進めるだろう。しかし、不幸に思える一生にも、いくつもの陽だまりが存在していた。その陽だまりは、荒んだ無暁の心に心地よくしみ、生きる糧となっているのだ。
死してはじめて叶う即身仏になるのだという極限の願いも、またその陽だまりの温かさを知るからこそたどり着いた境地だったのだろう。本書には、死の恐怖は生への執着だという著者の考えが随所にちりばめられている。
平成最後の一年と同じで、作中、自然の中にあって、人間はあまりにもちっぽけな存在だ。幸だ不幸だと騒いでも、天も地も、空も海もなにも変わらない。自然は人間に対して、恐ろしく酷薄だが、この上なく公平でもある。「幸も不幸も、人の世のみに存在し、その量を他人と引きくらべて計るのも、やはり人だけだ」という一文に、人の業に対する著者の考えを汲み取ることができる。
人生とは、暁(あ)けることのない闇の広がりのようなものなのかもしれないが、そこにも陽だまりは存在する。その陽だまりを作るのも人であることが、「人は人を救えるのか」という問いへの答えなのかもしれない。
ラストに鳴り響く鈴の音は、「いまあなたを生きているいのち」には、どのように聞こえるだろうか。