【聞きたい。】大高保二郎さん 『ベラスケス 宮廷のなかの革命者』
[文] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)
■葛藤、苦悩が生んだまなざし
「大学院生のときに、ベラスケスのまなざしが同世代の画家のそれとは大きく異なることを感じました。その理由をやっと納得できる形で提示できました」
大高さんが言うように、ベラスケスのまなざしには時代を突き抜けた何かを感じる。〈セビーリャの水売り〉に見られるように冷徹な観察眼と目に映るものを効果的にキャンバスに定着させる卓越した技術を持った彼は、時間と運動を筆のひと刷(は)きで表現する手法を完成させたり、〈ラス・メニーナス〉のように鑑賞者を作品に取り込んでしまう三次元的構図を発明するなど、絵画にさまざまな革命をもたらした。加えて、宮廷に雇われていた矮人(わいじん)の肖像画では、人間の尊厳を見事に描き出している。彼は宮廷や社会の序列を超えたまなざしを持っていた。
「そうしたまなざしを持ち得た根本的理由は、出自にあったと私は考えます。もちろんすべてを出自につなげることは危険ですが」
近年の研究によれば、ベラスケスがコンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ人)の血を引いていたことはほぼ確実らしい。
「彼の実証的かつ冷徹な計算が働いた作品には、対象を冷徹に見つめたスピノザやモンテーニュと相通じるところがあります。このふたりもコンベルソの血を引いています」
宮廷の中で、画家・廷臣として職務を果たしていた彼は、出自がばれぬよう言動を慎み、注意深く生きてきた。そうした葛藤や苦悩が彼の人間を見るまなざしを形成していった、というのが大高さんの見立てだ。
出自に劣等感を抱いていた彼は、スペイン最高の栄誉のひとつであるサンティアゴ騎士団への入団を熱望していた。〈ラス・メニーナス〉完成後、晴れて入団を認められた彼は、絵画の中の自分の左胸に団員の証しである赤い十字架を加筆する。本書を手にプラド美術館を訪問したくなった。(岩波新書・960円+税)
桑原聡
◇
【プロフィル】大高保二郎
おおたか・やすじろう 昭和20年生まれ。早稲田大学名誉教授。同大博士課程満期退学。著書に『スペイン 美の貌』『ゴヤ「戦争と平和」』、訳書に『ゴヤの手紙』など。