『夏の花』を残した詩人の評伝

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『夏の花』を残した詩人の評伝

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

「遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ墜つ 天地のまなか/一輪の花の幻」広島原爆ドームの傍らの詩碑に残されたこの詩は広く知られているが、この詩「碑銘」が遠藤周作に宛てられた遺書に書かれていたことを知る人は少ないのではないだろうか。本書は、この詩の作者・原民喜の生涯をたどる評伝である。副題に「死と愛と孤独の肖像」とあり、「死の章」「愛の章」「孤独の章」の三章で構成され、原の自死を巡る状況を克明に描く「序章」が置かれている。原は自死の数ヶ月前から友人や仲間たちをさりげなく訪ね、密かに別れを告げ、遺品に宛名を付け、十七通の遺書をしたためた。かくも周到に準備された死は、鉄道による轢死という衝撃的なものだった。葬儀の場で埴谷雄高は「あなたは死によつて生きていた作家でした」と原に語りかけた。「序章」で引かれる埴谷の弔辞は、詩人に寄せる愛惜と悲哀が漂い心に響く。

 著者によれば、原の作品のテーマは、「子供時代の回想、妻との死別、被爆体験」の三つに大別され、「物語を構築するのではなく、自身の記憶と感覚を頼りに独特の世界を描き出す」ほとんどの作品は「自身の心象の変奏曲なのである」。

 そして、テーマに青春時代が抜け落ちているのは「左翼運動での体験」に深く傷ついたからではないかと指摘する。慶應大学文学部英文科に進んだ原は、「日本赤色救援会」に所属し、一年半の活動の後、検束され運動から離脱。この頃の原は、部屋に赤と黒との布を張り巡らせ、昼夜逆転の生活を送っていたという。

 原は二十七歳で見合いし、二十一歳の貞恵(弟が評論家の佐々木基一)と結婚するが、この貞恵が原にとっての「永遠の女性」「母親のような存在」となる。しかし、一九四四年、貞恵は肺結核と糖尿病のため死去。翌年八月六日、失意の原を原子爆弾が襲う。便所に居たため助かった原は、ノートにこの日に見聞したことを書き留め、それを基に小説『原子爆弾』を書き上げた。当初は「近代文学」へ掲載が予定されていたが、「事前検閲」ではねられ、事前検閲のない「三田文学」に一部削除を経て『夏の花』と改題され掲載された。この「三田文学」の編集に携わっていた原が心を許したのが十七歳年下の後輩・遠藤周作だった。

 最晩年、原は二十一歳のタイピスト祖田祐子に「この世ならぬ心のわななき」を覚えるが、著者はこの女性に直接取材を行い、原、遠藤らと四人で多摩川でボート遊びをした思い出を語らせている。

 原は「繰り返しよみがえる惨禍の記憶に打ちのめされそうになりながらも、虚無と絶望にあらがって、のちの世を生きる人々に希望を託そうとした」と著者は書く。原爆文学の極北『夏の花』を残した詩人への深い共感に満ちた、敗戦の夏にこそ読むに相応しい書と言える。

新潮社 新潮45
2018年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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