兵士の行動を規定する「参照枠組み」

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兵士というもの

『兵士というもの』

著者
ゼンケ・ナイツェル [著]/ハラルト・ヴェルツァー [著]/小野寺拓也 [訳]
出版社
みすず書房
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784622086796
発売日
2018/04/17
価格
6,264円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

兵士の行動を規定する「参照枠組み」

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

 一九三九年、イギリス陸軍省は隠しマイクを備え付けた捕虜尋問センターを創設した。この戦争捕虜に対する尋問、盗聴システムはアメリカ軍に受け継がれ、連合国は全世界を網羅する秘密尋問センターのネットワークを構築した。米英軍は一九四五年初頭までに約百万人のドイツ軍捕虜を捕らえたが、その内の約一万七千人の盗聴記録を残していた。本書は、一九九六年に機密解除されたこの記録をもとに、歴史家と社会心理学者が共同して兵士たちの心性の解読を試みた成果である。分析に当たって著者たちが兵士個人の主体性よりも重視したのが、彼等の行動を規定する要因となっていた「参照枠組み」と呼ばれる集合的概念。例えば、ドイツ軍兵士の勲章への願望は、彼等の行動を大きく駆動していた。

 検閲を前提にした手紙や、自己正当化のヴェールがかけられた回想録などと違い、捕虜同士が交わした会話の盗聴記録は、兵士たちの赤裸々な心情を窺うに最適な第一級の資料といえる。その意味で、膨大な盗聴記録を収録した第3章は本書の白眉とも言えるもので、読む者を圧倒する。例えば、チェコスロヴァキアで、二週間にわたり、六人がかりで一度に十二人を射殺する作業を続けた武装SSの兵士は、報酬として十二マルクの特別手当と、食事を二倍受け取っていたが、それは「すさまじく神経に負担がかかったからだ」と言い、半日で五十人の女性を射殺したことを告白している。

 印象的なのは、兵士たちの会話には、「死」や「殺す」という概念がほとんど現れず、自分たちが抱く不安や恐怖、絶望といった感情を語ることを避ける特徴があるという指摘である。また、戦争末期に至るまで、ヒトラーに対する信頼が維持されている一方で、民族共同体といったナチスのイデオロギーにほとんど興味が示されていないことにも驚かされる。著者たちは、兵士たちが、大量虐殺に手を染めるようになった「決定的要因」は「参照枠組みの軸が、市民生活の状態から戦争の状態へと移動したという点」にあると結論づけ、「イデオロギーは戦争の原因を提供するかもしれないが、なぜ兵士たちが人を殺し、戦争犯罪を犯すのかの説明は与えてくれない」と書く。平凡な人たちの平凡さが、五千万人以上の死者を生み出した残酷さの根源にあるという指摘は、ハンナ・アーレントの「凡庸さの悪」を想起させる。

 さて、アメリカ軍はカリフォルニア州に日本軍捕虜を対象とした尋問センターを設け、三千名を超える捕虜たちを収容していたが、「訳者あとがき」によると、彼らにたいする盗聴記録は一切残されていないという。一九四五年三月までに連合国が収容した日本兵捕虜はヨーロッパ戦線に比べはるかに少ない一万二千名弱。彼らの赤裸々な言葉を知るすべはないものか。

新潮社 新潮45
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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