「見えない音、聴こえない絵」を描く“アウトサイダー”画家
[レビュアー] 都築響一(編集者)
文章を難しく書くのは簡単だけど、易しく書くのは難しい。言いたいことを完全に理解していなければ、完全に伝えることはできないから。いわゆる現代美術の難解な作品を見て、カタログの難解な解説を読んでよけいわからなくなるたびに、そんなことを思う。
大竹伸朗はその作品と同じくらいエッセイにもファンが多い画家だ。文芸誌である月刊『新潮』に「見えない音、聴こえない絵」の連載を始めたのは2004年のこと。それはすでに同タイトルの単行本、2冊目の『ビ』とほぼ5年ごとにまとめられ、このほど3冊目の『ナニカトナニカ』が刊行された。今回は新たな試みとして1話に1点ずつモノクロームの写真も挟み込まれ、ざらっとした空気感を添えている。ちなみに連載のほうは手元にある最新号が169回目で、いまも続行中。まもなく16年目に入るわけで、この連載とともに育ってきた若者もたくさんいるはずだ。
今風の肩書をつければ現代美術家ということになるのだろうけれど、酒場のカウンターで話すように彼が書き留める言葉、創作への立ち向かいかたには、何十年経ってもフレッシュなままの初期衝動や「理屈で捉えきれない曖昧ななにか」への思いがあふれていて、それは絵筆を取る前にまずコンセプトを語ろうとする現代美術業界のメインストリームから、はるかに離れた場所に立ち続ける彼の自画像を読むことでもある。そうして、いくら有名になってもアウトサイダーでいつづける(いつづけさせられる)その生き様が、自分の思いにまっすぐに生きていこうとすればするほど、多数決で負けていく若者たちの背中を静かに、しかしもうこんなにも長く押しつづけてきたのだった。
語られる言葉はきわめてプライベートであるのに、その広がりがいつのまにかたくさんのこころの内側に染み入っていく、これはそういう波紋のような文章だ。