イヤミスを突き抜けた、年間ベスト級の衝撃作――望月諒子『蟻の棲み家』

レビュー

4
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蟻の棲み家

『蟻の棲み家』

著者
望月 諒子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103521914
発売日
2018/12/21
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

イヤミスを突き抜けた、年間ベスト級の衝撃作

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)

 できれば知らずに過ごしたい世界。見ないで済ませたいもの。望月諒子は読者の首根っこをつかんで無理やりその世界に放り込み、見たくないものを目の前につきつける。読者はいつの間にかその世界にとり憑かれ、先を知りたくてたまらなくなる。書き下ろし長編『蟻の棲み家』はそんな小説だ。

 2Bの鉛筆を鷲掴みにして白壁を黒々と塗りつぶしてゆくような力強く生々しい文章は、いったんハマると抜け出せない。吉沢末男(よしざわすえお)なる人物の生い立ちを語るわずか八ページのプロローグだけで、その恐るべき吸引力はまざまざと実感できる。末男は、責任感ゼロのシングルマザーのもとに生まれ、七歳離れた妹の面倒を見ながら学校に通った。母親が連れ込んだ男たちが置いていく一万円札が一家の唯一の収入源。

〈中学に上がると、母親は末男に「金を稼いでこい」と言った。新聞配達をするというと叩かれた。駅前の駐輪場から自転車を取ってこい、それが嫌なら商店街で万引してこいとわめいた。(中略)勉強をしていたら仲間には小突かれた。相手が自分と同じようにクズでないと気にいらないのがクズな人間の特徴なんだとその時に気がついた〉

 末男は母親に内緒で高校を受験して合格。空き巣の手伝いで稼いだ金で卒業し、小さな工場に就職して真面目に働きはじめる。だが、母親が大きな借金を作り、末男はその借金取りから「うちの仕事を手伝わないか」と誘われる。あがいてもあがいても犯罪から抜け出せない無間(むげん)地獄……。

 もっとも、このあと、末男は小説の表舞台からしばらく姿を消す。『蟻の棲み家』の焦点は、中野区東中野で二人の若い女性が相次いで射殺された事件。被害者は二十七歳の風俗嬢と、出会い系掲示板で客をさがす二十二歳。ともに幼い子を持つ母親だが、育児放棄している。だがもちろん、テレビは残された子供たちにスポットをあてて、被害者の身の上を同情的に語り、底辺の現実を美談で覆い隠そうとする。

 小説の主人公は、フリー記者、木部美智子(きべみちこ)。仕事柄、殺人事件の情報も入ってくるが、いま彼女が追っているのはもっと地味なネタ――蒲田にある弁当詰め工場の気弱な工場長が、タチの悪いクレーマーから継続的に恐喝されている事件だった。恐喝は次第にエスカレートし、「お前のところのパートの娘を誘拐した。二百万円を用意しろ」と電話がかかってくるが、誰が誘拐されたのかもわからない。困った工場長が「本社に電話してくれ」というと、相手は「なに言ってんだ、てめぇ、誘拐だぞ」と怒鳴りつける。

 あまりにも間抜けなこの“誘拐”騒動は、さらに間抜けな脅迫へと発展し、被害者もジャーナリストも警察も困惑する。脅迫した相手から「ばかじゃないのか」と罵倒されるような脅迫。低レベルすぎて笑うしかないこの脅迫は、しかし、やがて射殺事件と結びつき、様相が一変する……。

 小説のテーマは、格差社会と子育て。教育もスキルもない女たちはつながりを求めて体を売り、〈普通は遊ぶと金は減る。でも売春は、遊んでいるつもりなのに金がもらえる〉と気づく。そんな彼女たちにとって、〈子供の出現は罰ゲーム〉でしかない。子供を施設に預けたまま殺された被害者の母親は、死んだ娘のことを疫病神と言い放つ。

 とはいえ本書の眼目は、社会の底辺を描くことではない。吉沢末男と対置するように描かれる長谷川翼(はせがわつばさ)は、医者のドラ息子。慶應義塾大学に通うハンサムな青年で、友だちも多く、妹は医大生。大手広告代理店に就職が決まり、順風満帆。だが、裏カジノにハマって二千万の借金をつくり、ヤクザのとりたてに追われていた。切羽詰まった翼は、女を使って手っとり早く金をつくる方法を思いつく。末男と翼、何から何まで対照的な二人が出会い、ともに一線を越えることに……。

 愚かさが引き起こした底辺の犯罪を克明かつスリリングに描くノワールだが、それだけでは終わらない。最後の最後にすさまじいどんでん返しが炸裂し、ミステリーとして鮮やかに着地する。この周到な仕掛けには脱帽するしかない。そこらのイヤミスをまとめて蹴散らすパワーを持つ、年間ベスト級の衝撃作だ。

 ちなみに本書は、望月諒子のデビュー作『神の手』に始まり、『殺人者』『呪い人形』『腐葉土』と続く木部美智子シリーズの五冊目だが、それぞれ物語は完全に独立しているので、初めての人もご心配なく。

新潮社 波
2019年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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