エリザベス・ストラウト『何があってもおかしくない』評――ひとりで逃げてきた人のために/槙野さやか

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何があってもおかしくない

『何があってもおかしくない』

著者
Strout, Elizabeth小川, 高義, 1956-
出版社
早川書房
ISBN
9784152098207
価格
2,530円(税込)

書籍情報:openBD

ひとりで逃げてきた人のために

[レビュアー] 槙野さやか(文筆家)

 ろくでもない場所からひとり逃げ出したことがあるだろうか。誰の手も引かず、誰にも手を引かれず、肌にはりついたしがらみをその皮膚ごと剝がすように捨ててきたことはあるだろうか。私はある。そのとき逃げ出すことができたのは私の才覚や努力のためだろうか。まさか。偶然だ。奇跡みたいな偶然だ。どの年齢でどのような能力を発揮するかなんて、偶然以外の何だというのか。だから逃げ出したあと、自分の生活は不当に恵まれているのではないかとずっと感じているし、逃げた人間に石を投げたくなる人間の気持ちも想像がつく。

 本書はアメリカの架空の田舎町アムギャッシュを中心として、そこから逃げ出した者たちとそこに取り残された者たちを描いた連作短編集である。十代でアムギャッシュを出てニューヨークで名を成した作家が回想録を出版し、アムギャッシュの人々がそれを読む(あるいは読まない)。この回想録が、本書の姉妹編の小説『私の名前はルーシー・バートン』である。現実に出版されたフィクションの本がノンフィクションの本として架空の町の人々の手に渡っている、というしかけだ。

 登場人物たちの外形に特異なところはない。学校の教職員、農家、フォトグラファー、主婦、民宿の主といった「普通の」人々である。その普通さがなめらかにスライドして、じわじわと、あるいは突然に、異様な姿を見せる。信じられないほどの善良さ、激しい屈折、刃物を飲むような痛み。一見平凡な登場人物の感情をきわめて繊細に表現するという特徴は、エリザベス・ストラウトの他の著作と共通している。しかし本書では、他の作品よりもその感情と読者の間の距離が近い。小説の中の感情が目から胸にストレートに届けられる。単純化されているのではない。形容しようのない感情もまた、そのままに読者の中に配達される。アメリカの中西部で貧困にあえいでいたのではなくても、誰かを置いて、どこかから逃げた人であるなら、あるいは、逃げた誰かを恨んだことのある人であるなら。

 ニューヨークで作家になったルーシーをはじめ、合計九編の短編でさまざまな「逃げ出す・出て行く/取り残される」モチーフが繰りかえされる。逃げ出すことで人生を獲得する者、逃げ出した先で残忍な人間に変じる者、誰かに逃げられたことで内面を大きく損なわれる者、誰かが逃げるのを助けてやろうとする者、逃げた者を許す者。

 逃げ出した人間は罪悪感を持っている。自分がずるをしたと思っている。年をとって、逃げ出す前の人生が遠くおぼろな記憶になっても、自分に起きた奇跡をうまく許容することができない。でもそんなのは実は奇跡ではないのだ。誰にでも起こりうるありふれた救済、あるいは奈落の入り口なのだ。

河出書房新社 文藝
2019年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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