[本の森 医療・介護]『残心』鏑木蓮/『患者の事情』

レビュー

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残心

『残心』

著者
鏑木, 蓮
出版社
徳間書店
ISBN
9784198647322
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 医療・介護]『残心』鏑木蓮/『患者の事情』

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 社会問題としての医療・介護を論じるときに絶対忘れてはいけないこと。それは議論の対象になるのは心を持った人間であり、単なるモノではないという前提だ。鏑木蓮『残心』(徳間書店)は、老老介護の現場で起きた殺人事件からそのことに切り込んだ意欲作である。

 認知症の妻を夫が世話していた、老老介護の夫婦が変死する事件が起きた。夫の谷廣孝造は首を吊っての自死に見えたが、妻・牧子の死体には絞殺の形跡があった。現場の状況からは、介護生活に追い詰められた果ての凶行という可能性が浮上してくる。この夫婦をルポライターの杉作舜一が取材していたことから、地元情報誌で記者として働く国吉冬美は事件について調べ始める。社会問題を深く掘り下げる杉作は、彼女にとって憧れの存在だったのである。

 冒頭で谷廣孝造が介護生活について語る言葉が印象的だ。認知症の妻を世話していて何が一番辛いかを聞かれ、彼はこう答えるのである。「家内が感情をむき出しにすると、私の心が動かなくなってしまうんです。それが辛いというか、怖いんですわ」と。そうした、人がモノに近い存在になってしまう現場の重い実情がまず描かれる。同時に、それでもやはり生きたいと願う、人々の必死の思いが綴られるのである。単純な解決策などなく、誰もが暗中模索していくしかない。主人公が辿り着いた真相から、問題の根深さを感じさせられた。

 もう一冊は珍品を紹介したい。『患者の事情』(集英社文庫)、怪我や病気などで「患者」になってしまった人々が主役のアンソロジーである。

 巻頭の山本文緒「彼女の冷蔵庫」は、義理の娘が骨折のために入院したと聞かされ、病院に駆けつけた女性、〈私〉が主人公である。母娘は十歳しか年齢が離れていない。〈私〉は後妻だからだ。心を開かない義理の娘を見舞ううちに、彼女の生活に生じた大きな歪みが見えてくる。それは〈私〉の過去の行いに関係したものでもあった。

 患者になるということは、日常の一部が壊れて非日常に入っていくということでもある。「彼女の冷蔵庫」はそうした局面を描いたものだ。急病になった不法就労外国人を救うべく奔走する女性を主人公とする馳星周「長い夜」も同種の作品で、普段は見えないものが、患者のいる風景では浮かび上がってくるのである。

 筒井康隆「顔面崩壊」や藤田宜永「特殊治療」などSF的設定の作品も含まれている。中でも姿を見せない病人についての小説、小松左京「くだんのはは」は、怪談小説の古典と言うべき名作だ。笑ってしまうのは椎名誠「パンツをはいたウルトラマン」で、着ぐるみから出られなくなった男の奇妙な生活が描かれる。逆に読者の心肝を寒からしめるのは渡辺淳一「薔薇連想」だろう。ある病気についての小説だが、これほど迷惑かつ恐ろしいホラーはあまりない。

新潮社 小説新潮
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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