『ハバナ零年』
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“数学的”構想で展開するキューバ作家の驚異のミステリー
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
本書が初邦訳になるキューバの作家の小説は、歴史的な文書をめぐるミステリーとして、まず読者をひきつける。
グラハム・ベルに先んじて、実は電話はキューバで発明されていた。ハバナに滞在していたイタリア人のアントニオ・メウッチの仕事で、彼は不遇のまま亡くなるが、そのことを証明する直筆文書がハバナに残されているというのだ。
おもな登場人物は五人。語り手である数学者のわたし、わたしの元不倫相手の数学者、現在の恋人、恋人の知人である作家、キューバ文学を取材するイタリア人ジャーナリストの女性。恋人も元不倫相手もわたしも、与えられている名前は仮のものでしかない。
文書を手に入れたい理由は、それぞれ違う。数学者としての野心であったり、メウッチについての小説を書くためであったり。それが手に入りさえすれば自分を取り巻く世界が一変するという思いは共通している。
タイトルの「ハバナ零年」は一九九三年をさす。一九八九年にベルリンの壁が崩れ、社会主義体制に支えられてきたキューバの経済は急降下した。食糧難と停電が続き、人々は「戦争中の国で生きるような」暮らしを強いられた。その一方、外貨目当てのホテルやレストランもでき、富の偏在が始まっていた。
カオスやフラクタルといった数学理論が随所に引かれる。登場人物の五人も方程式の変数で、生き延びるために嘘をつきまくる。AがBの、BがCの嘘を暴くたびに、世界の見え方はがらりと変わる。文書があるはずの場所も移動し、真実のゆくえは混沌を極める。
現実に、メウッチが電話の最初の発明者として認定されたのは二〇〇二年のこと。小説内の作家が、文学に数学を導入し、読者が虚構と思って読み始めると現実が降りかかり、歴史の中に入り込ませる、と構想を語る場面があるが、本書はまさにその構想どおりの、驚くべき小説である。