[本の森 歴史・時代]『へぼ侍』坂上泉

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へぼ侍

『へぼ侍』

著者
坂上, 泉, 1990-
出版社
文藝春秋
ISBN
9784163910529
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 歴史・時代]『へぼ侍』坂上泉

[レビュアー] 田口幹人(書店人)

 第26回松本清張賞受賞作、坂上泉『へぼ侍』(文藝春秋)は、二百六十年余り続いた徳川の治世が、あっという間に崩れ落ちた御一新からわずか十年後の明治十年の西南戦争を、御一新を瓦解と呼んだ、徳川の恩顧に懐かしみを持つ者たちの側から新たな視点で描いた作品だ。

 近代的な新政府軍と旧時代的な士族との戦い、というイメージが強い、日本史上最後の武士の内乱である西南戦争は、明治政府の施策により士族の特権を次々に廃止され、それによって士族の存在価値が急速に失われ、武士の出身という誇りが傷つけられてゆく中で、溜まっていった不満が噴出したのが原因の一つだと言われている。

 本書は、その戦いにおいて、元士族で編成された、大阪から赴いた変わり者達が中心の物語となっているのだ。

 主人公の志方錬一郎は、大坂東町奉行所与力を勤めた徳川家臣の息子だが、父親が鳥羽伏見の戦いで戦死した後、家が没落したため、幼いときから丁稚奉公に出され商人として育った17歳の青年だ。奉公先でも士族としての誇りを胸に秘め続けた錬一郎は、賊軍という汚名をそそぐため、そして武功を挙げることで官軍に仕官するため、政府の徴募に応募するのだった。

 士族の誇りとは裏腹に、棒切れを使って剣術の真似事などをしていた錬一郎は、周囲の人間から「へぼ侍」と揶揄されていた。そんな錬一郎は、配属された分隊で分隊長に指名される。その分隊に属する者たちが、なんともくせ者ばかりなのだ。元桑名藩士で五稜郭まで戦い抜いたと主張する松岡に、京の公家に仕える青侍出身で、四条流包丁道を使う沢良木、さらには元大坂蔵屋敷勘定方で銀行勤めをしていた三木という個性的な人物揃い。

 年齢も経験も豊富な松岡らに完全に見下されていた錬一郎は、戦地である熊本へ向かう途中、脱走した三木を連れ戻す過程で、商家で過ごした経験から身に着けた気転と交渉術を披露し、三人の信頼を勝ち取り、それがきっかけで分隊が一つになってゆく。

 その後の戦いにおける落ちこぼれ兵士たちの活躍も大きな読みどころなのだが、戦を通じて、敵である西郷軍に対する憤りや闘争心が持てず、逆に心を通わせようとする錬一郎の姿は、その後の激動の昭和という時の流れの中を生きていく上での原点となり、その覚悟は、「へぼ侍」と揶揄されてもなお持ち続けた士族の誇りに通じる。西南戦争の終結をもって、日本では武士という職業としての軍人身分が消滅する。そんな時代背景の中、士族の誇りは、強くしなやかに生きる信念へと変化してゆくのだ。ぜひ、錬一郎の想いの変化に注目して読み進めてみてほしい。

 幕末から明治を彩った歴史上の人物を、自身のストーリーに大胆に嵌め込む強かさには、新人であることを疑ってしまった。今後の作品にも注目したい。

新潮社 小説新潮
2019年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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