世界最強の諜報機関で日本語を教え、多くのスパイを祖国へ送り込んだ日本人女性とは?

レビュー

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なぜ、打ち明けたのか?――山田敏弘『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』

[レビュアー] 真野勝成(脚本家)

 脚本家として事件モノを多く担当していると、単なる殺人事件を描くだけでは物足りなくなる。で、諜報員が絡むようなネタを提案すると、どうも製作陣の反応が悪い。

「ちょっと荒唐無稽というか、日本が舞台だとリアリティがなくて、視聴者もついてこない」ということらしい。

「バカなこと言ってんじゃないよ、現実では日本は諜報活動でチンチンにやられてるよ」

 と主張しても、ピンときていない面々の顔が、この原稿を書いていても思い浮かぶ。

 諜報員=スパイのイメージはド派手なハリウッド映画によって刷り込まれているし、敵は以前なら共産国、今ならテロリストが主だ。日本人は敵として描かれないし、ほとんど出てこない。

 だが当然、日本はCIAにとって諜報活動の対象だ。1995年の日米自動車交渉に際し、CIAは交渉の場であるジュネーブのインターコンチネンタルホテルに盗聴器を仕掛けた。橋本龍太郎通産相(当時)と自動車メーカー経営陣の会話は筒抜けで、アメリカは優位に交渉を進めた。これは当時のニューヨークタイムズで一面記事になり、日本でも報道された事実である。日本は特にクレームも入れず、泣き寝入りしたようだ。総理が大統領をもてなし「友好ムード」「対等な関係」を繰り返し演出しても、本当の日米関係とはそういうものなのだろう。アメリカにとって日本はかつての敵国、戦後は属国なのだ。

 アメリカ側に立って考えると、この盗聴事件において日本側の会話を解読できる現場の人間が必要だったはずだ。本書『CIAスパイ養成官』ではCIAの言語習得に対する過剰なまでの姿勢が描かれている。そこには世界の覇者たらんという明確な意思が存在する。そしてその戦略の一端である対日工作の重要パートを担ったのが、日本語インストラクターの「キヨ・ヤマダ」という日本人女性だった……というのが本書の主題である。

 キヨはすでに他界しているが、生前「私はCIAで働いていた」と知人にだけ漏らしていたという。読者として冒頭から引っ掛かるのは、諜報活動に従事していた人間が重要な秘密をなぜ、打ち明けたのか?という事だ。

 その謎を追う著者・山田敏弘氏のスタイルは「ここまでは聞けた」「これ以上は分からない」という部分が明確で、面白くするために情報を誇張しないし、自分の思い込みを書くこともない。ノンフィクションの読者としては本当のことだけを知りたいので、この面白すぎないスタイルが信用できるし逆に面白いのだ。結果として残った情報の行間から、読者自身が想像を膨らませることができる。

 浮かび上がるキヨという女性像はあまりにも興味深い。日本名・山田清。戦前の裕福な家庭に生まれたが、父や兄から冷たく扱われ、男性からの抑圧を感じていたようだ。戦後、キヨはアメリカに留学し、自立した女性を志す。ちなみに彼女が利用したのがフルブライト奨学金プログラムだが、その前身は「占領地域救済政府資金」という名称だったという。名称からだけでも日米関係の本質がうかがえるし、こういう細かい知識を得られるのもノンフィクションの楽しみだ。

 キヨは日本を脱出し渡米するが、米軍人の熱烈なアプローチを受け、結婚する。安直な恋愛モノ脚本なら、この夫が日本男子と正反対の優しい男性でハッピーエンドになるのだが……夫は占領下の東京で他の日本女性と関係を持っていたり、差別主義者だったりする。都合の良い筋書きがないのもノンフィクションの面白さだ。アメリカで主婦になり自立する目標を失ったキヨだったが、46歳でCIAの日本語インストラクターとして採用され、運命は展開する。

 冷戦時は日本も反共諜報戦の舞台であり、冷戦後は成長した日本経済自体がCIAのターゲットとなった。その舞台裏でキヨは語学だけでなく「日本ではアメリカ人が日本語を普通に話すだけで信用してくれる」といった日本人の特性を教えていたという。アメリカの、そしてキヨの本気度が伝わる、地味だが背筋が凍る挿話だと思う。

 教え子たちは先の日米自動車交渉でも暗躍し、キヨの功績は退官時にメダルを貰うほど評価された。戦前生まれの女性としては破格のキャリアを生きたと言えるだろう。日本で男性に抑圧された女性がアメリカで自立した軌跡が、日本の衰退の遠因になった……とまで言うのは、物語性を求めがちな脚本家の悪癖かもしれない。だが、墓場まで持っていくはずの秘密を人生の最後にキヨはなぜ、打ち明けたのか? 写真に残された美しい姿と相まって妄想は膨らむばかりだ。

 ※なぜ、打ち明けたのか?――真野勝成 「波」2019年9月号より

新潮社 波
2019年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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