“書くものすべてが傑作”とも巨匠が描く“世間話”という思いやり

レビュー

9
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ラスト・ストーリーズ

『ラスト・ストーリーズ』

著者
ウィリアム・トレヴァー [著]/栩木伸明 [訳]
出版社
国書刊行会
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784336070326
発売日
2020/08/11
価格
2,640円(税込)

書籍情報:openBD

“書くものすべてが傑作”とも巨匠が描く“世間話”という思いやり

[レビュアー] 真野勝成(脚本家)

「真野さんは読書とかするんですか?」数年前、とある編集者に聞かれた。僕は「ドラマの脚本家は本を読まないとでも? 舐めやがって」とは言い返せずにヘラヘラ笑っていた。その頃、僕は大量のグミを食べながら動画ばかり見ていたのである。体重は百キロを超え、脳は溶けていた。こんなんじゃダメだなと思い立ち、手っ取り早く面白い小説が見つかりそうな新潮クレスト・ブックスを何冊か買ったのだが、その中に『密会』という短篇集があった。作者のウィリアム・トレヴァーは「ジョイス、オコナー、ツルゲーネフ、チェーホフに連なる」「英語圏最高の短篇作家」で「書くものすべてが傑作」と謳われている凄い作家なのだが、僕はそれまで全然知らなかった。1928年生まれの白人男性作家だから新しくも正しくもないのかもしれないが、とにかく面白い。で、すっかり虜になってしまった。

『ラスト・ストーリーズ』はトレヴァーの遺作となった短篇集で、最後までどれも傑作である。もう新作は読めないけれど、思い出をしがむように、繰り返し読むことはできる。とくに何度も再読することになりそうな一篇が「世間話」だ。太った男につきまとわれる女性の話で、偶然知り合った男が徐々に厄介な存在になっていく。が、よくあるサスペンスではない。ストーカー行為の被害者女性の視点で描かれながら、加害者への態度というか配慮がとても興味深い。単純に怒るでも気持ち悪がるでもなく、相手との会話に付き合うのである。「わたしの守護天使さん」などと気遣って呼び、相手を喜ばせようとさえする。なぜか? そこに秘密がある。と言ってもミステリー小説のようなどんでん返しがあるわけではない。彼女は「世間話をするのが思いやりだということを知っていた」のである。そのような人間になった理由は、終盤に僅か数行触れられているに過ぎない。大きな話ではなく、個人的でささやかだが忘れられない事、あの人の事。

 トレヴァーの小説には成就しなかった恋によって、その後の生き方が決まってしまった人がよく出てくる。ふと「うまく行く恋なんて恋じゃない」という歌詞を思い出す。大量のグミを食べながら、YouTubeで聴いた歌だ。あの頃、僕は仕事で痛めつけられ、ストレスで暴飲暴食し、凄絶な肥満をどうすることもできずにいた。劣等感が滲み出た白い巨体を見て「ベイマックスみたいだね」と笑ってくれたのは、あの人の思いやりだったのかもしれない。

新潮社 週刊新潮
2020年12月24日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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