『それでも俺は、妻としたい』
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爆笑鼎談 愛ある暮らし、ダメ夫の誠実 『それでも俺は、妻としたい』刊行記念企画
[文] 新潮社
ヒモでも元気いっぱい
野木 お二人はどうやって出会ったんでしたっけ。
晃子 私は大学のとき映研に入ってて、先輩の現場とか手伝っていたんです。そこに助監督として現れたのが彼でした。
足立 自主映画の手伝いに来てた彼女が、クランクアップの日に告白してきたのが始まり。
晃子 社会人だからキラキラして見えちゃったんです。当時は今より少しはイケメンでしたし、演劇の活動もしてて、明るくて爽やかで……二四歳と二〇歳で付き合い出して、それから三、四回は別れてるんですけど、ここまで来ちゃった。
野木 人生捧げちゃったよね……。
晃子 結婚する前に阿佐ヶ谷で同棲していた時、いよいよダメ人間になっちゃって本気で出て行けって言ったら「俺は出て行きたくない!」って畳の上で七転八倒して暴れまわって。ダメでしょ?
野木 最終的にはどうやって落ち着くの?
晃子 最後は、私が殴ることもあるし。
足立 俺は殴らないよ。
晃子 殴るじゃん。
足立 「俺のいいところはDVしないところだ」って言ってただろ。
野木 褒められたところは覚えてるんだね。
足立 アキ(晃子さん)がうっとりした目で「でもあんた、DVしないのが本当にいいところだよね」って言い出して、ヤバい、ついにそんな底辺のところを褒め始めたかと思った。
晃子 もう、ホント最低だった。野木さんとよく飲んでたのは一〇年ぐらい前ですよね。「日本映画学校」で紳の一学年後輩で、同級生に混じってうちにも来てくれてた。
足立 野木もまだそんなに売れてない頃だったね。
野木 というか、まだデビューもしてなかった。足立さん、あの頃完全にヒモだったよね。晃子さんが働いて稼いでて。週に一回だけ百円ショップの夜勤バイトやってたけど、あれも映画学校の仲間のバイト先にお情けで入れてもらったんでしょ?
足立 いや、面接はあったよ。
晃子 週に一回、夜一〇時からの勤務だったんですけど、夕方六時ぐらいから「行きたくない」って言い始めるんですよ。「今日、おなか痛い。調子悪い」って四時間ブツブツ言い続けてて、子供生まれたばかりだったし「甘えてんじゃねえよ」って蹴っ飛ばしてようやく出て行く。
足立 結婚前とか、ちゃんと働いていた時期も一応あるんだよ。助監督してたわけだし。
野木 あの頃、フルタイムで働いている奥さんに「疲れた」って言って足を揉ませてるって言うから、もう本当にびっくりした。週一のバイトしかしてない分際で(笑)。
晃子 揉まないと拗ねるから。
野木 その話を聞いて、意味がわからないって私がひとり怒っていると、皆は「まあ、足立だからな」って許してんの。
晃子 ちょっと人たらしなところがあるよね、私がだまされたように。ここで言うとバカ妻みたいだけど。ただ、女にはモテない。
野木 私の脚本のデビュー作『さよならロビンソンクルーソー』は、貢ぐ男と貢ぐ女の話なんだけど、貢ぐ女側の話は、実は足立夫妻からも着想をもらってるんです。
晃子 そうだったの!?
野木 私自身は貢がないタイプなんで理解はできないんだけど、当時お二人以外にも周囲にそういう人が数組いて。でもこの関係性の中にきっと何かがあるに違いない、と思って書いたの。そういう意味では二人にもお礼を言わないと。
足立 (うれしそうに)俺らのおかげだね。あと、さっき俺が女にモテないって言ってたけど、野木には「足立さんはモテる」って言われてたんだよ。
野木 いまはキューピー化が進んでるけど、当時はもうちょっとシュッとしてて、髪の毛もあって……って、なんでそういう褒められたところだけ覚えてんの? 私、その一〇倍は説教してるよ。
足立 それはあんまり覚えてない。
晃子 本当にポジティブシンキングなの。この人、ヒモでもずっと元気いっぱいなんですよ。心折れないし鬱にもならない。相当バキバキに折ったつもりだけど。
野木 私もそう思ってた。でも小説読んだら、一応いろいろ考えてたんだってわかりました。
足立 そりゃ考えるよ、俺だって。