終戦までと占領期の「昭和史」で清張が抜きん出ていた3つの手法
[レビュアー] 碓井広義(メディア文化評論家)
この冬、ドラマ界で「昭和」が注目されている。阿部サダヲ主演『不適切にもほどがある!』、原田泰造主演『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』などで描かれる、昭和と令和の価値観やモラルのギャップが話題となっているのだ。
ちょっとした昭和ブームともいえるが、ドラマでの昭和は80年代を指す。いわば昭和末期の10年だ。つい「バブル時代だけが昭和じゃないよ」などと言いたくなってくる。
本書のタイトルは“松本清張と”昭和史ではない。“松本清張の”昭和史だ。それも昭和20年8月15日までの「昭和前期」と、占領期の「昭和中期」が焦点となる。清張は前者を舞台に『昭和史発掘』を書き、後者を『日本の黒い霧』で描いた。
著者は、昭和史を記す上で清張が抜きん出ていた点を挙げる。史実を基にした、実証的でわかりやすい説明。従来の手法を超えた調査、取材、分析。そして大前提から結論を推論する思想的解説からの脱却。これらが、いかに「清張の昭和史」たらしめているかを解読したのが本書だ。
昭和10年代の超国家主義空間。そこに至るまで、権力が具体的に力を獲得していくプロセスを活写したのが、『昭和史発掘』だった。中でも清張がのめり込んだのが二・二六事件だ。敗戦まで続く「軍事主導体制」は、この事件の成果として陸軍統制派の幹部たちが確立したものだった。陸軍の政治的実権性という本質を清張は見逃していない。
また下山事件や松川事件など、占領期の不可解な出来事の背後にアメリカ側の謀略があったのではないかという見方を提示したのが、『日本の黒い霧』だ。事件は社会に大きな影響を与えたが、「結果をその動機として作為的に起こすのが謀略」とした清張の視点は画期的だった。
戦後の事件だけでなく、政治の世界を表現するようになった「日本の黒い霧」という言葉は、まさに令和の今も生き続けている。