『音に聞く』
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音楽と文字芸術のみごとな対置 強靭な思索にみちた音楽小説
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
異色の音楽小説と言えるだろう。
主人公は、翻訳家の姉と、年の離れた十代半ばの妹。
姉の有智子は作曲に天賦の才を見せる妹・真名をともない、父が暮らすウィーンを訪ねる。音楽理論の大家である父とは、妹が生まれた年に離別しているが、妹の特異な天分を父に託したい気持ちもある。
発話によるコミュニケーションに困難を抱えている真名は、父との最初の個人レッスンで、父の態度にみだりがわしさを感じたのか心を閉ざし、自らの奥底から涌きあがる音楽とのみ向きあおうとする。そんな妹を有智子は支える一方、言語を媒体とする翻訳者として、母語の日本語への「失望」や、言葉じたいの力の限界に対する歯がゆさ、音楽の才をもつ妹への嫉妬に揺さぶられる。
帯文にもある「言葉か、音か―」という問いかけは、奇しくも同時期に刊行された町屋良平の『ショパンゾンビ・コンテスタント』とも通じあう。町屋の小説も、音大を中退した小説家の卵(語り手)と音大生のピアニスト(その親友)を主人公にしている。「ぼく」は早々に「音楽言語」はあきらめ、小説言語に向かうものの、音楽を奏でることに比べると、小説の執筆は「うすあまい」ようでどこか心許ない。文字から音へのうらやみ。
一方、『音に聞く』には、「あなたの口を通った言葉は―『腐れ茸』どころか―純粋な音そのものとなっているかのよう」と讃える科白がある。言葉に絶望したホフマンスタールの「チャンドス卿への手紙」への、有智子または作者からの応答だろう。「彼は言葉という遊離した概念ではなく、なぜ言葉を存在させる声について考えようとしなかったのだろうか」と彼女は問う。
音楽と文字芸術、それぞれの道をゆく二者を対置させ、みごとな対位法を奏で、最後には言葉の失墜からの静かな甦生がある。強靭な思索にみちた芸術小説である。