『遠の眠りの』
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『瓦礫の死角』
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[本の森 恋愛・青春]『遠の眠りの』谷崎由依/『瓦礫の死角』西村賢太
[レビュアー] 高頭佐和子(書店員。本屋大賞実行委員)
谷崎由依氏『遠の眠りの』(集英社)は、昭和の始まりから戦争が終わるまでの年月を、福井の貧しい農家に生まれた少女の成長を通して描いた小説だ。本を読むのが好きな絵子は、尋常小学校を卒業したが進学を許されない。弟は長男であるというだけで勉強を続けるように言われているのに、女であるという理由で、食べるための仕事をし男子を産み育てることしか求められていない。その現状に対し、自らの言葉で反発した娘に父親は激昂する。家を出て人絹工場で働くことになった絵子は、同僚に借りた「青鞜」に感銘を受け、イプセンの『人形の家』や与謝野晶子の詩に出会う。会社の不正を発見してしまい社長に疎まれたせいで、女工として働くことができなくなるが、開店したばかりの百貨店に雇われ、事業の一つとして設立された少女歌劇団の脚本係をすることになる。年若い団員たちの中に、男子でありながら少女と偽って劇団に所属し、美しいソプラノで観客を魅了するキヨがいた。
絵子の周囲には、様々な女性たちがいる。鋭い洞察力を持つが、良き妻として生きる姉・和佐。「青鞜」を愛読し、労働運動に身を投じる同僚・朝子。女工として成功し、女としても貪欲に幸福を掴もうとするムツ。手織りの布を作ることを愛し、秘密の恋に身を焦がす旅籠屋の娘・まい子。彼女たちの誰とも違う生き方を模索する絵子は、「正しいこと」を発言するたびに苦境に立たされる。彼女を苦しめる「女であること」のやりきれなさは、2020年現在も共感できるものであり、登場人物一人一人が、身近な女性たちの顔に重なっていった。一方で、百貨店という夢のような空間や、性別を超えて儚く妖しい美しさを放つキヨの姿は幻想的で、読んでいて何度もため息が漏れた。
西村賢太氏の小説集『瓦礫の死角』(講談社)には、読者にはおなじみの主人公・北町貫多の十代の頃を描いた短編が収録されている。高校に進学せず一人暮らしをしていた貫多だが、仕事をクビになったため実家に戻っている。折り合いの悪い母親の留守中に、出前の品を食い散らかし、部屋を漁る。出ていくように言われれば、ひどい言葉で罵り金を無心する。が、性犯罪者である父親が刑期を終えて出所すると知り、怯える母親を守りたい気持ちと、逃げ出したい気持ちの間で揺れる。
卑屈と傲慢の混ざった複雑な自意識と、心許せる友人も守ってくれる大人もいない生活は、少年から明るさや正直さや清々しさを奪う。自己中心的で品のない行動に、嫌悪感を覚えるのに読むことをやめられないのは、貫多の生きざまに自分の内側にある何かを見つけてしまうからかもしれない。深い孤独と諦めの中で、十数冊の文庫本を心の支えに日々を過ごす貫多の生命力と、露悪的な振舞の中にほんの少し見える善良でありたい気持ちに心を打たれた。