避難先で次々トラブル、遂には殺人まで!非日常の一夜に起きたサスペンス。赤川次郎『台風の目の少女たち』
レビュー
『台風の目の少女たち』
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避難先で次々トラブル、遂には殺人まで!非日常の一夜に起きたサスペンス。赤川次郎『台風の目の少女たち』
[レビュアー] 辻真先(作家)
文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:辻 真先 / 作家)
地方都市の高校、夏休みが終ったばかりの平和な光景から、物語の幕は上がります。
ところが台風の接近にともない即時下校の指示が下り、高校生須川安奈が帰宅すると矢継ぎ早に住民に避難命令が発せられ、体育館へ町の人々が集まりはじめてしだいに不安がたちこめる緊迫した情景に、変化してゆくのです。
そこへ安奈のボーイフレンドで東京に進学していた石尾章の帰郷、恋人琴平雅美が章を追って町に現れる……。
波瀾を予想させる序幕ですが、読者があやぶむ暇もないうちに台風は刻々と近づいて、安奈や親友古田恵子はもちろん、章につづいて雅美まで体育館に顔を揃えたから、これはもうトラブル間違いなしですね。
そんな読者の予想を上回る勢いで、体育館を舞台にドラマがうねりだすのがこのお話ですが、ここで解説役として、若干の注釈をはさませていただきます。ウルサイなぞと仰らず、どうかご静聴のほどを。
物語の構成技術に、グランドホテル形式という方法があります。『台風の目の少女たち』は、そのサンプルのひとつと考えてください。
大勢の登場人物を限定された場所に集めた作者が、そこへなにかの一石を投ずるのです。石の正体は人間同士の愛憎であったり、火災であったりしますが、ここでその役目を果たすのはむろん台風です。
となるとこの長編は、単なるグランドホテルタイプでなく不可避の大事故が襲いかかる『タイタニック』の構造にたとえるべきかも知れません。読者はこのあとずっと、作者が投じた石の波紋にもてあそばれる人々の、悲劇的なあるいは喜劇的な様相を、見守ってゆくことになるのですから。
解説者でしかないぼくに、読者のあなたの性別も年恰好もわかりません。ですがこの物語世界にはさまざまな世代、多岐にわたる境遇の人物がひしめいていますので、中にはあなたに似通った、またはあなたが共感できるキャラクターが、きっと顔を見せていると思います。
タイトルも『少女たち』と複数になっていますね。軸になる少女のひとりは安奈ですが、章をはさんで対立関係にある雅美もいます。やがて大きな秘密をかかえてしまう恵子もいます。
ではどんな形の対立になるのか、また恵子の秘密とはなんなのか。
解説に目を通しているあなたが小説を読む前だったら、ネタバレになるので申し上げませんが、少女たちだけでも問題が渦巻いているのに、周囲のおとなたちときたら、いっそう暗くて深い事情を隠したりしています。
いやもう体育館は、人の愛憎が滾る坩堝と化しました。
ぶつかりもつれる人の心の軋むさまを、あえて読者にさらけ出す──これが、この物語形式の醍醐味というわけです。
現実に年齢を重ねるにつれ“おとなの事情”は濃密な陰影を帯びてゆき、やがてドス黒い亀裂が当人を呑み込むことでしょう。そうはなるまいと崖っぷちでギリギリ耐えているおとなたちも、もし気まぐれな風に背を押されたら、アッという間に転落するかも知れません。
まして今夜は、気まぐれどころか台風が吹き荒れるのですから、いつもなら沈着冷静を装う人物さえ、醜く馬脚をあらわす羽目になるでしょう。
いわばこの長編は、実験装置なのです。
危機に陥った人間が、恥も外聞もなく素にかえる姿を蒐集した陸族館。そう思いませんか。
もちろんあなたは読者であって、天の高みから登場人物の右往左往を楽しんでくだされば、それはそれで結構なのですが……。
でも、ちょっと待ってください。先ほどあなたはキャラクターの中に、自分を投影できる誰かをみつけたのでは? それなら当然その人物の行く末を知りたくて、次のページをめくっていたのではありませんか。陸族館のガラス鉢を外から眺めていたあなたが、いつの間にやら鉢の中の誰かと同化していたのではないでしょうか。
(こんなとき私ならああする)
(イヤ、俺だったらそんな行動をとるもんか)
じれたり心配したり腹をたてたり、次へ次へと読み進めたあなたなら、ぼくのいうことを肌で感じられたはずですし、未読のあなただったら、この後きっとそんな読書体験をなさることでしょう。
愛憎のしがらみも天災への畏れも、もはやひとごとではありません。テレビやネットの画面で逆巻く濁流を見物していたあなた自身が、濁流に投げ込まれてもがいているのです。ああ、これは決して他人の話じゃない、わが身に置き換えて考えるべきなんだ!
……と、そこまで読者をからめとるのが、フィクションの力です。
数多く人物を登場させても混乱を齎すどころか、鮮やかに捌いて描きわけて、安定したリズムで読者をみちびいてゆく。そんな読書時間の演出者として、赤川さんはたぐいまれな書き手です。たとえ悲劇的な設定であっても、遠くに明かりをともしてみせる赤川作品に、読者の圧倒的な支持があつまるのは当然でしょう。
ぼくは赤川さんの同業者なのですが、どうにもかなわないと嘆じるのは、魅力的なキャラクターの創造力です。
映像畑でプロット創りに精を出してきたぼくは、話を組み立てる経験なら積みました。でも、その物語世界をバックに読者の前で演ずるのは登場人物です。それなのにぼくは読者のハートを撃ち抜くほどの、斬新な人物が創れません。たぶんそれは、既成の彼や彼女(ときにロボットだったり超能力者だったり)を与えられて、そのキャラをより華々しく造形する、そんな仕事を繰り返してきたためかと思います。
ところが赤川さんが送り出す人物は、超人でもないのにオリジナリティ豊かな天空海闊ぶりを発揮して、どんな年齢層の読者にもアピールするではないですか。
たとえば雅美がその好例です。主役の安奈のライバルだというのに、なんのこだわりもなく読者の懐へポンと飛び込んでゆくでしょう。終盤近くに彼女はいいます。「でも、朝は来るのよ」そんな台詞をサラリとのこして、章と腕を組んで歩み去る。
そのふたりを黙って見送る安奈は、なにを考えていたのでしょう。敗北の思いにうちのめされたか。いいえ、違います。彼女の受け止め方もまた、みごとに赤川イズムを具現しておりました。
甘いだけでも苦しいだけでもない。真摯な葛藤を経たあとの爽涼感を、少女たちは惜しげもなくふりまいてくれる。ひとごとではなく、あなたが背負うかも知れない問題の解決を暗示するかのように。
どうか読者のあなたに、この充実した心地よさを味わっていただきたいと存じます。
▼赤川次郎『台風の目の少女たち』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000918/