『ヤクザと過激派が棲む街』
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ヤクザと過激派が棲む街 牧村康正著
[レビュアー] 米田綱路(ジャーナリスト)
◆労働者の怒りを発端に激突
東京の山谷(さんや)が地図にない街になって久しい。台東区北東の旧地名で、一部は荒川区にまたがる日雇い労働者の集住地域、寄せ場の代名詞だ。
一九八〇年代前半、ここで金町(かなまち)戦(争)と呼ばれるヤクザと過激派の抗争が起きた。本書は関係者の証言から、その知られざる経緯を明らかにした貴重な“戦史”である。
山谷をシマ(縄張り)に、労働者の賃金搾取などを利権にした博徒の老舗組織、日本国粋会金町一家と、同じ街で戦闘的な労働争議で鳴らした山谷争議団。ヤクザと過激派とが、寄せ場をめぐってシマ争いのような戦いに至った真相は、部外者はおろか住民にすら理解しにくかった。
そもそも過激派とは、ロシア革命でレーニン率いるボリシェヴィキ(後のソ連共産党)を指して、東京日日新聞ロシア特派員の布施勝治が使った呼称に由来する。反体制の急進左派のことだが、後に日本では、武装闘争や暴力も辞さない危険な新左翼の呼称として一般化した。山谷争議団もその流れを汲(く)むが、政治党派とは異なる。党派ならヤクザとは戦わないからだ。金町戦を理解する鍵がここにある。
争議団は一人一党の徒党であり、統制を嫌う絶対自由のアナキズム色が濃い「組織性なき組織」だと著者はいう。ヤクザはそれとは対極の、統制と暴力のプロ組織である。
互いに他を知らず、労働者の怒りと暴動にヤクザは過大な脅威を覚え、争議団は誇大な情宣や映画撮影で応じた。そこに暴力のプロと堅気とが激突する構図が生じたのだ。
ヤクザは面子(めんつ)をかけた金町戦で、映画監督の佐藤満夫と争議団の山岡強一の両氏を殺害した。二人をめぐる関係者の述懐は、本書のヤマ場である。戦いをくぐった各人の証言には、“戦後”にまで貫かれた無党派という生き方の自負と誇りがかいま見える。
そんな戦闘的な少数派は「絶滅危惧種」としつつ、著者が「徒党の季節の再来を予感している」と擱筆(かくひつ)することに希望を見る。寄せ場が派遣や非正規の労働に姿形を変えて存続する限り、山谷はこの社会に遍在しているからだ。
(講談社・1980円)
1953年生まれ。竹書房を経てフリージャーナリスト。裏社会を20年にわたり取材。
◆もう1冊
多田裕美子著『山谷 ヤマの男』(筑摩書房)。山谷の男たちの写真とエピソード。