「勝ち組」人生を送っていたのに突然僧侶に 西行法師「出家の謎」を名歌から読み解く――寺澤行忠『西行 歌と旅と人生』を読む

レビュー

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西行

『西行』

著者
寺澤 行忠 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/伝記
ISBN
9784106039058
発売日
2024/01/25
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

芭蕉に受け継がれる日本語の精髄とは 歌人・西行の歌から人生を読む

[レビュアー] 明石健五(『週刊読書人』編集長)


西行(出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム)

寺澤行忠・慶應義塾大学名誉教授の新刊『西行―歌と旅と人生―』が刊行され注目を集めている。西行といえば、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した天才歌人。本書では、厳選された184首の名歌と共に、西行の人生が詳しく解説されている。

音声プラットフォーム「Voicy」にて、チャンネル「神網(ジンネット)読書人」を開設し、パーソナリティとして面白い本をいち早くピックアップする「週刊読書人」編集長・明石健五さんの解説をテキストに編集して紹介する。

●「出家の謎」を探偵のように解き明かす

本書のポイントは3つあります。

一つめは、西行という人物を知り、歌を味わうための、最適の入門書であるということです。

「西行」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。旅と共にあり、自然を愛で、独自の作風を築いた、平安末期・鎌倉時代初期の歌人、僧侶、といったところでしょうか。ちなみに、「新古今和歌集」には94首と、最多の歌が選ばれています。また、「小倉(おぐら)百人一首」には、次の歌が選ばれています。

「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」

本書は、そんな西行の184首の名歌を紹介しながら、彼の歩んだ旅路と人生を辿り直す入門書です。

西行は、平清盛と同年(1118年)に生まれています。若かりし頃は、鳥羽院の北面の武士、院の御所を警備する武士として出仕していました。

それが、23歳の時、突然出家する。では、なぜ西行は出家したのか。その理由を、西行自身は語っていません。ならばと、著者・寺澤さんは、西行が遺した歌から、推理していきます。

「呉竹の 節(ふし)しげからぬ 世なりせば この君はとて さし出でなまし」(もし世の中に憂きことがこれほど多くないならば、この君にこそはと言って、さし出てお仕えしようものを)

「悪し善しを 思ひわくこそ 苦しけれ ただあらるれば あられける身を」(善悪を分別する心があるのは、苦しいことだ。そのようなことに無関心であれば、それなりに生きている身であるのに)。

寺澤さんは、この二首について次のように解説しています。「出家前後の心境を詠じた歌と推定されるものである。現実が「呉竹の節しげ」き世であり、自らが「悪し善しを思ひわく」ゆえに、出家せざるを得なかったのだという。物事の理非曲直を分別するが故に、現状に留まることが、自らに許せなかったのである」(『西行』25頁)

つまり当時の時代状況を、節しげき世、つまり憂い多き世だと、西行は受け止めていた。それを理不尽に感じ、出家したのだという。

もちろん、出家とは、「生涯の生き方を決定した最大の転機」であった。だからこそ、次のような歌も残している。

「惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をも助けめ」(いくら惜しんだからといって、惜しみ切れるこの世でしょうか。そうではございません。身を捨てて、すなわち出家してこそ、わが身を助けることになるのです)

この一首は、詞書によると「出家に際し、鳥羽院にあいさつした歌」だということです。このようにして、寺澤さんは、西行の歌から、その人生の時々にあった出来事・事件の奥に潜む、西行の思いを推理していきます。本書を読んでいて、まさに「名探偵」と喝采を送りたい思いにかられました。

ただし、寺澤さんご自身は、あくまでも控えめです。西行が明確に語っていないことについては、自ら「他に漏らすことをむしろ積極的に避けていたのではないか」、それ故に「詮索は極めて困難だ、というより不可能である」と述べ、自分の説は「あくまでも一つの推測にしかすぎない」と言っています。

ただ、読者としては、〈寺澤探偵〉の推理を、本書を通じて、存分に楽しむことができるのではないかと思います。なぜ、西行が桜をかくも愛したのか。どうして、ひとり草庵をあみ、ひっそりと暮らしたのか。あるいは西行は、自らの死について、どのように考えていたのか。
すべての答は、西行が読んだ歌の中にあるということを、本書はつぶさに教えてくれます。

週刊読書人
2024年3月1日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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