松本清張のあの名作を彷彿――日本社会に根づいた闇を抉る警察小説

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忘れられたその場所で、

『忘れられたその場所で、』

著者
倉数 茂 [著]
出版社
ポプラ社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784591170090
発売日
2021/05/19
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

日本社会に根づいた闇を抉る警察小説

[レビュアー] 千街晶之(文芸評論家・ミステリ評論家)

2018年に刊行された『名もなき王国』で、日本SF大賞、三島由紀夫賞にダブルノーミネートされるなど、高い評価を受けた倉数茂の新作ミステリ『忘れられたその場所で、』が刊行された。ミステリ評論家・千街晶之氏が書評を寄せた。

 ***

『名もなき王国』で第三十二回三島由紀夫賞候補となり、昨年は『あがない』を上梓するなど、倉数茂の作家としての活躍は最近とみに目ざましい。しかし、デビュー当時からの読者からすると、「何か忘れてはいませんか」という思いがあったのも事実である。そう、二○一一年の作家デビュー作『黒揚羽の夏』、そして二○一三年の第二作『魔術師たちの秋』と続く「七重市」シリーズのことだ。岩手県の架空の街を舞台に、少年少女が怪奇な出来事に巻き込まれるこのシリーズは、タイトルを見ると夏→秋と推移している(ただし『黒揚羽の夏』で描かれた事件と『魔術師たちの秋』の事件のあいだには三年の歳月が経過しており、同じ年の夏と秋というわけではない)。ならば、次に来るであろう「冬」の物語はいつ執筆されるのか、気にかかっていた読者は多い筈だ。

 この「七重市」シリーズの第三作が、とうとう上梓されることになった。ただし、タイトルは『忘れられたその場所で、』であり、「冬」は冠されていない。このことからも窺えるように、本書は前二作と舞台と登場人物を共通させつつ、シリーズの新たな仕切り直しとも言うべき内容となっている。

 十六歳になった滴原美和は、雪の中で道に迷い、廃屋のような一軒家に辿りつく。そこで、割れた窓ガラス越しにひとりの男の姿を目撃する。だが、よく見るとその男は死体だった。

 岩手県警の刑事・麻戸浩明は、捜査一課唯一の女性刑事で変人として知られる川野絵美とコンビを組んで、この事件の捜査にあたることになった。被害者の斗南昭三は、数日間手足を椅子に拘束され、食事も与えられない状態の果てに針金状の凶器で絞殺されていた。四カ月前に仙台から転入してきたばかりだった彼は生前、この家にいれば金が入ってくると語っていたという。浩明たちは斗南の謎に包まれた過去を探るが……。

 シリーズ前二作からは引き続き、滴原千秋・美和の兄妹が登場しており(千秋は大学生、美和は高校生になっている)、他に『魔術師たちの秋』で登場した梶田記者も顔を見せる。だが、前二作では中心人物が少年少女であり、青春小説の色合いが濃かったのに対し、本書は兄妹の出番が少なめということもあって、浩明を主人公とする警察小説という印象が強くなっている。美和の幻視能力に関する言及もそれほど多くないため、幻想ミステリとしての彩りも薄めである。

 では何故、本書は警察小説として構想されたのか。後半、千秋がある事柄を調べていることが暗示されており、その意味では千秋を主人公として描くやり方もあった筈だが、七重という町の歴史の闇にある程度通じている彼よりも、予備知識が全くない新しい登場人物の視点で描いたほうが今回のテーマは効果的と判断したのかも知れない。

 では、そのテーマとは何か。作品の半ばあたりまで言及されないため、ここでは伏せておくべきだろう。しかし、日本の近代・現代史に刻み込まれた暗部であり、松本清張の小説で扱われたこともある――とだけは記しておこう。

 このテーマを著者が取り上げた理由を垣間見ることができる記述が、作中に一カ所ある。作中の事件の四カ月前、神奈川県相模原市の知的障害者施設で大量殺人があった――という実際の出来事が言及されるくだりだ(そのため、本書で描かれる事件の発生年が二〇一六年と特定できる)。この稀に見る凶悪事件の犯人は施設の元職員であり、重度の障害者は安楽死させるべきだという優生思想の持ち主だったという。事件は日本社会に大きな衝撃を与えたけれども、一般にナチス・ドイツの専売特許だったようなイメージがある優生思想は、実際には日本を含む他の諸国にも根深く存在したものであり、障害者・病人・高齢者・外国人といったマイノリティへの差別や排除、時には抹殺すらも行われてきた。戦後も日本社会に根づいていた優生思想と向き合うことなしに、相模原の事件の本質は捉えられない――著者はそのように考えたのではないか。特に、新型コロナウイルスの蔓延が不安と差別を生み、そこから装いを新たにした優生思想が再生しつつあるように見える現在においては。

 その結果、昭和史の暗部を知らない二十九歳の若手刑事であり、なおかつ肉親に障害者がいる立場の浩明が、警察の捜査力によってさまざまな人々と出会い、彼らの証言から事件のおぞましい背景を知るという構造が誕生したと思しい。こうして本書は、シリーズの前二作とは異なる、警察小説にして社会派ミステリの色合いを帯びることになった。

 事件の裏には、シリーズの旧作でも言及された七重の実力者・大間知家の存在が見え隠れしている。次に書かれるであろう「春」の物語でその全貌が明らかになるのか、興味はつきない。

ポプラ社
2021年5月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

ポプラ社

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