コロナとオウム真理教 医師の視点から描いた小説2冊

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臨床の砦

『臨床の砦』

著者
夏川 草介 [著]
出版社
小学館
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784093866118
発売日
2021/04/23
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

沙林 偽りの王国

『沙林 偽りの王国』

著者
帚木 蓬生 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103314257
発売日
2021/03/26
価格
2,310円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 医療・介護]『臨床の砦』夏川草介/『沙林 偽りの王国』帚木蓬生

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 新型コロナウイルスとの闘いは長期化し、二〇二一年中の決着は難しそうである。夏川草介『臨床の砦』(小学館)は、この未曾有の危機と闘い続ける医療関係者たちの姿を描いた、迫真のドキュメント小説だ。

 その地方の感染症指定医療機関として、信濃山病院はすでに一年近く絶望的な闘いを強いられていた。新型コロナウイルスの感染者が次々に運び込まれてきているからだ。六床しかないはずの感染症病床を限界まで増やしてもまだ足りない。本来は消化器内科が専門の敷島寛治も、感染者治療に忙殺されていた。周辺病院からの協力はなく、行政の無理解も甚だしい。「圧倒的な情報不足、系統立った作戦の欠落。戦力の逐次投入に、果てのない消耗戦」と、敷島は「負け戦」の要素を数え上げる。

「きっと誰かがなんとかしてくれる」という幻想は、余裕のある大都市のものだ。それが許されない地方都市の、ぎりぎりの現実が描かれていく。コロナ診療の現場の描写では「人と人とのつながりが極度に希薄であり、そのことが現実感の欠如につながっている」というような本質的な指摘があり、教えられることも多い。敗色は濃厚であっても黙々と努力を続ける敷島ら医療関係者の姿は尊く、思わず頭を垂れたくなる。自身も医師である、〈神様のカルテ〉シリーズの作者が最前線から送ってきた、血を吐くような本音のレポートでもあるだろう。

 もう一作も医師作家の長篇だ。帚木蓬生『沙林 偽りの王国』(新潮社)は、宗教団体でありながら国家転覆を狙って生物兵器による無差別殺人などを引き起こしたオウム真理教の所業を、かつてない視点から描いた圧巻の大作である。物語は一九九四年六月二十八日、九州大学医学部教授の沢井直尚が、長野県松本市で発生した謎の毒物による集団死傷事件の報を受ける場面から始まる。後にオウム真理教の仕業であることが判明する、松本サリン事件だ。

 神経内科医である沢井は毒ガスが用いられたと直感する。長野県警の見込み捜査は的外れな冤罪被害者を生み出し、事の深層を明らかにすることができない。それに沢井がもどかしい思いをしている間に最悪の事態、地下鉄テロが起きてしまうのである。

 第三章「東京地下鉄」まででテロの全容が明らかにされる。その後に続くのは、警視庁から依頼を受けた沢井がオウムの引き起こした個々の事件について検証を行うという形で、医学の観点から犠牲者に加えられた危害の数々が報告される章である。医学用語や調書に記された供述が淡々と綴られるこの中盤には作者の執念すら感じる。そして終盤、出廷した教祖の、惨めで卑しい姿を帚木は冷徹に描き出す。事実を明らかにすることで愚考を繰り返させるまいという強い意志によって書かれた小説だ。犠牲者への鎮魂碑でもあるのだろう。

新潮社 小説新潮
2021年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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