アートや建築を通して「政治」の問題が掘り進められていく2作品

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光をえがく人

『光をえがく人』

著者
一色 さゆり [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784065168202
発売日
2021/06/16
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

水よ踊れ

『水よ踊れ』

著者
岩井 圭也 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103541318
発売日
2021/06/17
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 仕事・人生]『光をえがく人』一色さゆり/『水よ踊れ』岩井圭也

[レビュアー] 吉田大助(ライター)

 香港中文大学大学院修了という異色の経歴を持つ、一色さゆり『光をえがく人』(講談社)は、アートをきっかけに動き出す人々の運命が綴られた短編集だ。第一編「ハングルを追って」から素晴らしい。大阪市内の美術大学で事務員として働く久崎江里子が、韓国語(ハングル)で書かれた古いアドレス帳を路上で拾う。ハングルが読める在日コリアンの海子に見せたが、持ち主の住所氏名は載っていなかった。「韓国に行ってみぃひん?」。かくして二人は、共に人生初となる韓国旅行へ。アドレス帳に記された人々を訪ね歩き、持ち主の“Jさん”についての情報を得るなかで、南北朝鮮と日本の歴史や、自らのアイデンティティについて掘り下げていくことになる。ともすれば深刻になりがちな題材だが、女性二人の関西弁の会話や、〈川幅が広く水量がゆたかで、大都会をつらぬく漢江の景色は、淀川に似ている〉といった大阪原理主義(笑)的な視点が入り込むことで、楽しく、軽やかに読みこなすことができる。ラストのワンエピソードで物語の印象がガラッと反転する展開は、長らくアート・ミステリーを書き継いできた著者だからこそ表現できた。

 アートは人生を変える、支える。「アートは人を助く」が全編を貫くメインテーマだ。そして、三編に共通して現れるサブテーマが「アートと政治」だ。二〇二〇年六月の香港国家安全維持法の施行直前と思われる時代を舞台にした、第三編「香港山水」の主人公である水墨画家・成龍は、香港の自治を叫ぶ社会運動には参加せず、ひたすら作品を描き続ける。その態度には周囲から批判もあるが、「こうした態度が僕なりの社会へのメッセージであり、暴力への抵抗なんだと思っています」。国家暴力により自由が根こそぎ奪われつつある社会で、描き続ける自由を行使することには、意義がある。

 岩井圭也の長編『水よ踊れ』(新潮社)は、一九九七年七月に香港がイギリスから中国へと「回帰」する(諸外国から見れば「返還」される)直前の、一年間の物語だ。建築家を志す二十歳の瀬戸和志は、香港大学建築学院に一年限定での留学を決めた。目的の一つは、父の仕事の関係で以前この街で暮らしていた時、十階建てのビルから墜落死した少女・梨欣の死の謎を探ることだ。その過程で、ここに暮らす人々がかつて持っていた「自由人」の気風が細大漏らさず記録されていく。

 そして、一色さゆりの『光をえがく人』とは違った形で、「アート(建築)と政治」の問題が掘り進められていく。「アートは人を助く」。そのこともまた、文字通り驚天動地の展開が勃発する最終章で取り上げられる。

 かつての自由で混沌に満ちた香港は、今はもうない。しかし、アートや文学の中に記録されている。それらに触れ、思い出すことから、きっと何かが始まる。

新潮社 小説新潮
2021年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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