自然・テクノロジー・法の交錯点からの透視図

レビュー

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バイオテクノロジーの法規整

『バイオテクノロジーの法規整』

著者
斎藤 誠 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784641227682
発売日
2020/09/14
価格
7,260円(税込)

書籍情報:openBD

自然・テクノロジー・法の交錯点からの透視図

[レビュアー] 平嶋竜太(南山大学法学部教授)

はじめに

 本書は、バイテクノロジーを対象とした法規整の諸相について、公法と知的財産法が交錯する領域を中心として考察を展開する書である。バイオテクノロジーと法のかかわりをめぐって、主として公法学・行政法学の立場から、これまで数多くの先見的な論考を発表されている著者が、至近の問題状況を含めた検討・考察を加え、バイテクノロジーの法規整について将来へ向けたあり方を立体的に提示しているものである。以下、本書の構成と内容を概略紹介したうえで、書評者の限られた視野と浅薄なる思索を基に本書に触れて受けた所感、新たな発見を中心に記させていただきたい。

本書の構成

 本書は、3部から構成されている。

 第1部は、「法規整の概観と基層」として、本書における考察を展開する上での礎となる基本的な問題認識と視点を定立している部分といえる。日本の憲法・行政法の枠組みを中心としたバイオテクノロジーの法的規制、ヒトを対象とするバイオテクノロジーの法的規制を中心として考察する第1章(「日本におけるバイオテクノロジーと法――現状と展望」)、環境法・科学技術法が公法理論へもたらしうる影響についての考察を契機として、ヒト・クローン規制法をはじめとするバイオテクノロジーに対する法のかかわり方についての基本的視座について展望を行う第2章(「環境法・科学技術法の公法理論への影響――人間観・社会観をめぐって」)、第2章における考察を異なる視点から補うものとして、環境をめぐる歴史にかかる書を紐解いた書評を糸口に日本における自然と人間のかかわりの歴史的系譜への考察をおこなう第2章補論(「自然と人の調和の実相――『環境の日本史4』を読む」、から成り立っている。第1章は、1998年に公表された先駆的論文であるが、補注において、公表後に整備されたガイドラインや指針の内容や改訂状況、ヒト・クローン規制法をはじめとする立法動向、さらにはヒトゲノム編集技術の出現に伴う法規制動向、等について詳細な検討および考察が展開されている。第2章は2005年に公表された論文であるが、補注において、公表後の公法学説の動向について概観すると共に、憲法と科学技術法・環境法とのかかわりについても言及する。

 第2部は、「公序条項による規整」として、バイオテクノロジー関連発明の特許法による保護と公序条項による保護からの規制についての考察が、時系列的な議論の進展状況及び欧州における事象考察を主軸として深められており、本書において展開されている多様な自然・テクノロジー・法の交錯点の中でも中心的な部分である。

 具体的には、特許法32条とECバイオテクノロジー発明の法的保護指令案を前提として、バイオテクノロジー発明の法的保護と規制について、公序条項の役割についての考察を先見的に展開する第1章(「私権の付与と公法上の規制――「バイオテクノロジーと法」に関する覚書」)、さらにその後の欧州におけるバイオテクノロジー発明の法的保護指令の成立や学説動向を踏まえて、バイオテクノロジー発明の保護と公序条項の役割についての考察を進める第2章(「行政規制と公序良俗――バイオテクノロジー特許を素材として」)、ヒト遺伝子技術に係る特許を前提として、医療行為、素材提供者の法的地位、生命倫理・安全規制といった各視点から法的規律のあり方について多面的に検討する第3章(「ヒト遺伝子技術に対する法的規律の交錯」)、ヒト胚特許をめぐる特許無効訴訟(ブリュストル対グリンピース訴訟)の欧州司法裁判所判決及びそれを受けたBGHドイツ連邦通常裁判所判決の分析・検討を基に、ヒト胚特許の限界線についての考察を進め、特許保護と公序条項による規制のかかわりを展望する第4章(「ヒト胚バイオテクノロジー特許の限界線――ブリュストル対グリンピース訴訟をめぐって」)、さらに、ブリュストル対グリンピース訴訟欧州司法裁判所判決及びBGHドイツ連邦通常裁判所判決、その後のISCO事件欧州司法裁判所判決についての分析・検討を中心として、バイオテクノロジー特許に対する公序良俗条項の適用のあり方について考察を加える第5章(「欧州におけるヒト関連バイオ発明と公序良俗規定――ブリュストル判決からISCO事件へ」)、から成り立っている。第1章から第4章では、補注において、各論文公表後の学説や文献の動向について紹介がなされており、第5章の補注では、ブリュストル対グリーンピース訴訟判決以降の欧州における動向や日本における審査・審決の詳細な分析と考察がなされている。

 第3部は、「植物バイオの法規整」として、植物バイオテクノロジーの成果物保護に関連して、種苗法による保護と規制を中心に考察を展開する。植物新品種の法的保護の枠組みとして、特許法による保護と種苗法による保護の法的構造について比較考察する第1章(「植物新品種の種苗法による保護と特許法による保護」)、種苗法による品種登録の無効確認について日本の裁判例の分析・検討を基に考察する第2章(「品種登録の無効確認――芸北の晩秋事件」)から成り立っている。第1章は、1997年に公表された論文を基礎として、その後の1998年改正種苗法や裁判例・学説の動向を踏まえた考察がなされている。種苗法については、その後2020年改正法が成立しており、改正をめぐって社会的にも大きな議論が生じた。補注では、同改正法についても詳細な検討・考察が加えられている。第2章も、補注において、論文公表後の学説や判例動向について検討がなされている。

本書の基本的視座

 本書は、そのタイトルからも明らかなように、バイオテクノロジーと法という現代的かつ先鋭的な法的課題を取り扱う書ではあるが、その基本的視座は、自然と人間のかかわりの再考可能性、法という文脈に即して換言するならば、人間中心主義に立脚した法的思考の再考可能性すらも示唆する、極めて根源的かつ本質的な位置に置かれているものであると理解できる。この点は、バイオテクノロジーに関する知的財産法における法的課題を目先の課題として捉えて、解決の道筋を「近視眼的に」模索しているに過ぎない書評者にとっては、刺激的ですらあった。確かに、非常に乱暴な捉え方をするのであれば、地球上における自然界(あるいは宇宙空間も包含するものとして観念しうるであろう)を全体集合とすれば、法制度とは、人類だけをメンバーとする、いわば部分集合だけを対象に妥当しうるものとして機能すれば十分に足りる「装置」であることを所与の前提として、長らく受容されてきたのかもしれない。他方で、人類による創作、さらにそれを基にした様々な活動は、図らずもそのような所与の前提すらも揺るがしうる局面に到っているといえる。バイオテクノロジーは、まさに、そのような営為の一つとして対峙すべき対象となり始めているのであろう(加えて、昨今の情勢からも明らかなようにウイルスの構成要素たるタンパク質のアミノ酸が一ヵ所変異する度に、翻弄され続けている存在もまた人類であることも直視すべき事実であろうが)。

歴史を踏まえた思考の意義

 そして、本書で提示されている検討軸として、歴史を踏まえた思考を続けることの意義にあらためて注目すべきではないか、と書評者は勝手に解している。それは、第1部第2章補論として、日本人が自然環境とどのようにしてかかわりあいをもってきたのか、著者の強い関心が表明されていることからも読み取れるところであるし、バイオテクノロジーと法規整のあり方という、現代的かつ将来への見通しが極めてつきにくい問題に対峙するに際しても、(むしろ見通しがつかないからこそ?)歴史を踏まえた思考を続けることの意義が顕になってくるのかもしれない。第1部第2章、第2部第1章といった先駆的な論考の公表から20年余の歳月をえて、経時的な制度動向や判例・学説の議論状況について差分情報として補注で考察を行うという本書の構造も、バイオテクノロジーの法規整をめぐって比較的短いタイムスパンで展開されてきた「歴史」を立体的に浮かび上がらせて投影することによって、これからの法規整のあり方を模索する上で大きな示唆をあたえているものといえるであろう。とりわけ、公序条項による「規制」をめぐり欧州が経験した歴史、そして本書で提示されている知見は、法制の構造を異にする日本においても、今後、特許法32条の解釈適用さらには新たな何らかの立法論を含めた法政策を組み立てるに際して、欠くことのできない「知恵」(あるいは機械学習における教師データのようなもの)となるに違いない。

バイオテクノロジーの法的保護と公序良俗条項の役割機能――この悩ましき交錯点

 さて、本書において展開されている交錯点の中で、もっとも中心的かつ現実的な課題である、バイオテクノロジー関連発明の法的規整における公序条項のあり方の問題についても、過度に袋小路に入り込まない程度で管見を記させていただきたい。書評者自身は、従前の技術状況を前提とする限りにおいては、特許法における公序良俗条項に対しては、本書にいう縮減論に親和的な見解をこれまで有しているものの、反面で、(ブリュストル対グリンピース訴訟での争点の要素でもある胚の破壊プロセスを必要としない!)iPS細胞を活用した多様な生体組織の再生技術の実現状況等を日々伝聞するにつれ、特許法における保護対象の自律的な規制フィルターとしての役割機能を公序良俗条項が積極的に担うことをもはや否定し得ない技術領域が次第に出現しうる将来像を漠然と素描し、特許法理論としてどのように折り合いがつけられるべきなのかという「悩み」を抱えている。本書では、公序良俗条項が特許制度における「異質な要素の介入」ではないこと、既存の実施規制及びその背景たる憲法規範と同調的に特許付与を拒否することの必要性があること、について、非常に精緻な考察を基にした論理が展開されており、書評者の「悩み」は多少なりとも晴れた想いである。思うに、現行の特許法は、特許要件充足による私権の付与を担う制度装置に留まるものではなく、登録・公示による特許発明の社会への公開という以上に、発明開示要件充足を(昨今ではかなり厳格に)課することによって、技術情報の公開機能による社会的作用として無視しえない力を具備するに到っているものと考えられ、特許法理論の側面からも公序良俗条項の役割機能の再構成に取り組む意義をあらためて認識させられた。

自然とテクノロジーと法のかかわりを見据えて――回帰点としての「人間なるものとは?」

 これまで概観してきたように、本書は公法と知的財産法が交錯する領域からバイオテクノロジーの法的規整のあり方について幅広く、そして歴史的な思考を重視した論を展開しており、自然とテクノロジーと法の交錯点からの透視図を提供する貴重なる書である。そして、本書の「我々は何処からきて何処へいくのか」(本書70・223頁)という問いの意義にこそ最大限に注目すべきであろう。人間がその集団たる社会の繁栄のために自らを取り囲む自然をコントロールすべく生み出した道具概念がテクノロジーであるとすれば、バイオテクノロジーは人間が自らの繁栄のために自らをもコントロール対象の俎上に載せ始めた段階に入ってきたのであって、その点こそが他のテクノロジーと比べてもっとも異なる点といえる。人間が内発的に自己の「定義」をコントロールして改変することを受容するのか、受容するのを止めるのか、誰が止めることができるのか、バイオテクノロジーの法規整は「人間なるものとは?」という問いに回帰するのである。

有斐閣 書斎の窓
2021年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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