『紅きゆめみし』
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江戸に張りめぐらされた伏線を拾い集めて
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
田牧大和会心の吉原綺譚の登場だ。
ときは、天和三年の年が明けて半年も経っていない頃。前年暮れの八百屋お七の火事の記憶がまだなまなましく、人々の間に残っていた。そんな折、吉原一の遊女・紅花太夫は、開運稲荷の境内で奇妙な子守唄を唄う幼い娘「七」を見かけるも、ふと目を離したすきに姿を見失ってしまう。一方、紅花太夫の馴染み客である女形・荻島清之助=新九郎は、芝居中に起きた騒動の責めを負わされて、舞台から締め出されてしまう。暇を持て余した清之助は、紅花が出会った娘に興味を抱き、その正体をさぐりはじめるが……。
田牧大和のことゆえ、その巧緻な語り口はむろんのこと、時代考証の確かさ、読者を一瞬にして江戸吉原に拉し去る筆の冴えは確かなもの、そしてさらにさらに、この一篇は正しく堂々たる時代ミステリーなのである。わくわくしながらページを繰っていき、謎ときがはじまって、まだ六十ページも残っていると知れたときには、嬉しくなった。
では何故、この一巻がミステリーたり得るのかといえば、その「七」が八百屋お七の祟りだといわれ、次次に変死事件が起こるからで。そして、清之助が謎を追ってゆくと、行く先々で「本当に、いいのか、本当に首を突っ込むつもりか」と念を押される始末。吉原という、一見、きらびやかな世界とは対照的な女たちが抱える闇も作品に妖しい彩りを添え、「七」がいう、わたしは「私」をさがしている、という謎かけ、さらには「七」の子守唄の「ととさまもてんてん、かかさまもてんてん」に込められた哀しい思いも、作品の肉づけに一役も二役も買っている。
読者は江戸を心得た作者の手のひらで遊ばされつつ、その一方で、張りめぐらされた伏線を拾い集めて謎ときに立ち向かわねばならないわけだが、相手が田牧大和では分が悪い。本書は作者にとって新たな代表作といっていいのではあるまいか。