宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊―― 『理想の夫』文庫巻末解説

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理想の夫

『理想の夫』

著者
オスカー・ワイルド [著]/厨川 圭子 [訳]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784041122198
発売日
2022/01/21
価格
770円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊―― 『理想の夫』文庫巻末解説

[レビュアー] 厨川圭子(翻訳者)

■角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

■ オスカー・ワイルド『理想の夫』

宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊―― 『...
宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊―― 『…

■ オスカー・ワイルド『理想の夫』訳者あとがき

訳者あとがき
厨川圭子

 オスカー・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde)は一八五四年十月十六日、アイルランドのダブリンに生まれた。当時有名な眼科と耳鼻科の専門医であったウィリアム・ワイルド卿は彼の父であり、母エルジー・ワイルドは教養豊かな人であった。ワイルドは母のことを常に讃えてやまなかった。
 ダブリンのトリニティ・カレッジを経て、一八七四年、オックスフォード大学に入学した。学生時代から彼は専ら詩作に凝り出した。さまざまの美しい詩形を使って書いているが、この時代の詩は未だ他の詩人の模倣の域を出ていない。
 最初の戯曲『ヴェラ』(Vera)を書き上げたのが一八八〇年。一八八二年と三年と、二度渡米している。この頃ワイルドの名は既に世間に知れわたっていた。文学上の天分を認められたからというよりは、「審美衣装」と自ら称していた奇抜な服装を着て当時のイギリス人を驚倒したからであった。
 アメリカから帰ってすぐパリへ出かけた。パリでは最も美しい地区のホテルに間借りして、『パドゥア公の奥方』(The Duchess of Padua)という戯曲を書き上げた。又『娼婦の家』(The Harlot’s House)と『スフィンクス』(The Sphinx)の二篇の詩も作った。
 一八八四年、彼はコンスタンス・メアリー・ロイドと結婚し、二子をもうけた。結婚生活は幸福であったらしい。一八八八年には童話、『幸福な王子、その他』(The Happy Prince and Other Tales)を出版し、一八九〇年には小説『ドリアン・グレイの肖像』(The Picture of Dorian Gray)を雑誌に掲載し、後にさらに六章書き足して単行本として翌一八九一年に出版した。一八九一年にはその他、童話『柘榴の家』(A House of Pomegranates)とエッセイ集『インテンションズ』(Intentions)を出版した。戯曲『サロメ』(Salomé)を書き上げたのもこの年である。この間、ワイルドはロンドンとパリの間を度々行き来している。『サロメ』を書いた頃はパリに住んでいた。
 名声はいやましに高まり、富も得た。ワイルドの野心と自信と享楽はますます旺盛となっていった。ちょうどこの頃、彼は十五歳年下のアルフレッド・ダグラス卿(クウィンズベリ侯の息子)と知り合った。ワイルドに輪をかけたような放蕩児である上に、才智は彼より劣ったこの美少年に、ワイルドは完全に惑わされてしまった。この交友が次第次第にワイルドの時間と財産と想像力をすりへらして行き、ついには破局をもたらしたのである。
 ダグラスとの交友のとぎれ目を利用して、ワイルドは専ら戯曲を書いた。一八九二年に『ウィンダミア卿夫人の扇』(Lady Windermere’s Fan)が上演され、一八九三年には『とるに足らぬ女』(A Woman of No Importance)、一八九五年に『理想の夫』(An Ideal Husband)と『真面目が肝心』(The Importance of Being Earnest)がそれぞれ上演された。
 そして一八九五年、ついにクウィンズベリ事件の審判が下され、ワイルドは二年の重労働懲役刑に処せられた。
 レディング牢獄で最後の数カ月間に書き綴ったダグラス宛ての手紙は、出獄と同時に友人ロバート・ロスに手渡された。死後、一九〇五年、ロスは『深き淵より』(De Profundis)と題をつけてこの手紙を出版した。これがいわゆる『獄中記』である。
 出獄後の彼は、次第に困窮して行き、友人からも遠ざかり、パリ郊外の安ホテルに住まうようになった。そこから友人シェラードに『レディング牢獄の唄』(The Ballad of Reading Gaol)の原稿を送った。これがワイルドの最後の作品となった。ついに一度も才智ひらめく戯曲を再び発表することなしに、一九〇〇年十一月三十日、パリで寂しく死んでいった。

 ワイルドは心底から芸術至上主義者だった。人生を芸術より一段低いものとみなし、真の芸術は人生から素材を提供してもらうだけで、人生を模倣するものではない、模倣するのはむしろ人生のほうである、とした。人生は精神の上でも、思考の上でも、感情の上でも、芸術から学ぶところが多いばかりでなく、もっと卑近な模倣としては、例えばロゼッティ(一八二八-八二、英国の詩人にして書家)が一種独特な、人の心を捉えてやまない美のタイプを創造すると、いつの間にか、すんなりとした象牙のように白い顔をした女性がちらほらと現実社会にも現れるようになる。独特な角ばった顎も、神秘的な目つきも、ふんわりと垂れた髪も、随所に見うけられるようになる。かように、人生こそ芸術を模倣するものである、とワイルドはエッセイの中で言っている。
 芸術は人生から素材を得るが、それをそのまま再現して見せるものではない。その素材を、作者の想像力によって濾過し、素材の中に秘められていた美を精製し、更にこれを熟達した筆で、心魂こめて磨き上げ、鍛え上げる。こうして出来上がった珠玉こそ、真の芸術作品なのである。人生に秘められた美や、現実の事物に秘められた美を発見し得る人、しかも、その美を、豊かな想像力と洗練された筆の力で表現し得る人こそ、真の芸術家なのである。これがワイルドの信念であった。したがって、彼の最も忌み嫌ったものは、人生のお先き棒をかついで、人生に説教しようとする作品であり、人生の代弁者として、人生の喜怒哀楽をそのまま再現しようとする作品であり、人生におけるがままの生の声を、磨きもかけずにそのまま写そうとする作品である。
 現実に忠実でありすぎるということは、むしろその作品の真実性を失わせることになる、とワイルドは言い切った。例えば浮世絵を見るがいい、と彼は言う。浮世絵の中の日本人を見て、それが即ち、現実のありのままの日本人であると思うなら、とんだ大間違いだ。現実の日本人はわれわれ英国人と少しも変ってはいないのだ。浮世絵の日本人は浮世絵画家の創り出した一つのスタイルであり、優雅な幻想のイメージなのだ。

「理想の夫」の初演は一八九五年一月三日、ロンドンのヘイマーケット座で行われた。「サロメ」、「ウィンダミア卿夫人の扇」、「真面目が肝心」と共に、ワイルドの戯曲の中でも、傑作のひとつに数えられている。
 自分の夫、チルターン卿ほど清廉潔白な政治家はいないと信じこみ、ひたすら崇拝し、愛しきっていたその夫が、実は、若い時、政府の機密事項を投機師に売って、多額の金をもうけ、その金で出世の糸口を作った男であったことを知った時に、チルターン卿夫人の愛情に危機がおとずれる。しかし、それは、自分の抱いていた「理想の夫」という偶像がこわれただけであって、現在の夫自身が変ったわけではない。このことを悟った夫人は、罪も弱さも背負ったありのままの姿の夫に対し、新たに愛情をいだくようになる。
 これが本作のあら筋である。かように一見平凡な素材を捉えながら、出来上がった作品は、まことに珠玉のような整った美を備えている。前に述べた芸術論からおしてもわかる通り、ワイルドは技巧派であり、形式美を重んじた作家である。本作の四幕とも、緻密に、無駄なく構成されている。各幕とも、すべり出しをゆるやかにさりげなく運び、次第次第にテンポを速め、緊張感を盛り上げ、幕切れまで息もつかせず観客の心をひきつけ、白熱した緊迫感の絶頂で幕をおとす。その幕切れの鮮やかさと、次の幕へ持ち越すサスペンスの強さは、ワイルドの戯曲の誇り得る優れた点の一つであろう。
 ワイルドの戯曲を論ずる時、忘れてならないものに、台詞の美しさがある。ワイルドの台詞は技巧的であり、非現実的なまでに洗練されている。日常生活の生の会話を戯曲の台詞として使うなどとはもっての他、そんな作家は芸術を人生の奴隷とさせるようなもので、芸術家とは言えない。芸術は人生より優位に立つものであり、人生に手本を示すものであり、美を表現することを目標とすべきものである以上、想像力をもって人生における会話を修整し、磨きをかけ、人と人との対話の中に秘められた美を表現するものこそ、戯曲の台詞でなければならぬと考えていた。本作における台詞の美しい響きといい、気の利いた表現法といい、ワイルドの苦心のあとがうかがわれる。

 十九世紀末の寵児であったオスカー・ワイルドの人気は、二十世紀の中頃には、しばらく鳴りをひそめていた。ところが、二十世紀末になって、イギリス本国でも、アメリカでも、急速に勢いを盛り返してきた。「ドリアン・グレイの肖像」がよく読まれ、「真面目が肝心」や本作が舞台で評判をとった。一九九八年には、ワイルド自身の栄光と挫折を描いた「オスカー・ワイルド」というイギリス映画が作られ、日本でも上映された。つくづくオスカー・ワイルドは世紀末と縁の深い作家である。二〇〇〇年春には「理想の結婚」という邦題で、本作の映画が上映される。奇しくも二〇〇〇年はワイルドの没後百年に当たる年である。

  二〇〇〇年一月

厨川 圭子

■作品紹介・あらすじ

宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊―― 『...
宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊―― 『…

理想の夫
著 オスカー・ワイルド
訳 厨川 圭子
定価: 770円(本体700円+税)
発売日:2022年01月21日

宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊!
『理想の夫』は、イギリスの文豪オスカー・ワイルドの傑作戯曲の一つ。日本では、1954年に角川文庫より厨川圭子氏の翻訳で発表。2000年に復刊したが、その後絶版となっていた。2022年2月、宝塚星組と新国立劇場での公演が決定。初版からじつに68年、再び厨川圭子氏の監修を得て、このたびの新装復刊となった。なお、オスカー・ワイルドの四大喜劇のなかで、「理想の夫」は、日本ではじめての舞台化となる。

【あらすじ】 1895年ロンドン。将来有望な政治家ロバートと、その妻ガートルードは、だれもがうらやむ理想の夫婦。そして、ロバートの親友アーサーは、自由気ままな独身貴族で、ガードルードとも昔馴染みの間柄だった。ある日、そんな3人の前に、妖しい魅力のチェヴリー夫人が現れ、紳士淑女たちの「秘密」が露わになっていく――! オスカー・ワイルドのテンポよい展開とウィットに富んだ会話が光る、人間ドラマの傑作。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322109001190/

KADOKAWA カドブン
2022年02月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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