追悼 ありがとう、笹本稜平さん 「魂の数だけ夢がある」 宇田川拓也(ときわ書房本店)

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山狩

『山狩』

著者
笹本稜平 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334914424
発売日
2022/01/19
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

追悼 ありがとう、笹本稜平さん 「魂の数だけ夢がある」 宇田川拓也(ときわ書房本店)

[レビュアー] 宇田川拓也(書店員/ときわ書房本店)

 二〇二一年十一月二十二日、笹本稜平さんが急逝されました。十月号で本誌での連載が終了した『山狩』の単行本作業を、進めていただきつつあった中での訃報でした。

 光文社とのお付き合いの始まりは二〇〇〇年初頭、編集部に届いた持ち込み原稿からでした。素人離れしたその筆力に興味を持った編集者が依頼し、新たに書き下ろされたのが、デビュー作『暗号 BACK-DOOR』(文庫化に際して『ビッグブラザーを撃て!』と改題)です。当時は阿由葉稜(あゆばりょう)の筆名でした。『時の渚』でサントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞し、一気に知名度を上げたのはその翌年です。以来、およそ二十年にわたって数々の作品を発表いただきました。

 どの作品にも、無反省で狡猾(こうかつ)な組織の論理に妥協せず、孤高の戦いに挑む男たちの意地と誇りが描かれています。その物語は常に苛烈で、守るべきものに対する愛情に満ちていました。

 ここに、謹んで哀悼の意を表します。

 地元千葉の書店として笹本作品を盛り上げ続け、直接のお付き合いもあった、ときわ書房本店の宇田川拓也(うだがわたくや)さんに、追悼文を寄せていただきました。

「魂の数だけ夢がある」


 二〇二二年一月に刊行された、笹本稜平氏の新刊『山狩』を読み終え、帯に記された「著者急逝。しかし、小説は残る」「単行本作業中に急逝した著者が遺した、長編捜査小説の白眉」の文字を何度も目で追ってしまう。とても受け入れがたく、言葉もない。

 房総半島南部にある伊予ヶ岳(いよがたけ)の山頂付近で、若い女性の死体が発見されたことを皮切りに、この女性がストーカー被害にあっていたことが発覚し、加害男性がある有力者の親族だったことから捜査に様々な妨害が。いっぽう被害女性の祖父は、愛する孫の敵(かたき)を討つため動き始め、スリリングな展開にページをめくる手が止まらなくなる。卑劣な権力者や腐敗した組織に屈することなく正義を貫こうとする刑事たちの勇ましさ、そして訪れる伊予ヶ岳山頂での手に汗握るクライマックスと希望の光差すラストシーン。山岳小説と警察小説、ふたつのジャンルの第一人者として不動の地位を確立したその手腕は、〝日本一低い県〟を舞台にしても、さすがのひと言に尽きる。だからこそ、この作品の単行本化に向けて作業を進めていた昨年十一月二十二日に旅立たれたことが、いっそう信じられない。

 千葉県船橋市の本屋に勤める筆者にとって、笹本氏は「地元の作家」としてはもちろんのこと、それ以外でもご縁があり、特別な存在だった。

 私の本業は本屋の店員なのだが、時折、ミステリの新刊レビューや文庫の巻末解説を依頼されることがある。きっかけは、かつて神楽坂下でミステリ専門書店「ブックスサカイ 深夜プラス1」の店長だった文芸評論家・茶木則雄(ちゃきのりお)氏が書店業界に復帰した際、私の上司になったことに始まる。ミステリ好きを認められ、執筆仕事のいくつかを回してもらうようになったある日、初めて版元から直接のご依頼をいただいた文庫解説の仕事が、笹本氏の『グリズリー』だった。以降、『還るべき場所』、『未踏峰』、『太平洋の薔薇』※小学館文庫版、『遺産 THE LEGACY』、『その峰の彼方』、『ボス・イズ・バック』など、数々の作品で解説担当者として起用していただいた。

 また、小説家へのインタビュー・構成の仕事も、笹本氏が初めて。津田沼駅近くの喫茶店で緊張しながら見様見真似でお話を伺ったことは、いまでも鮮明に憶えている。

 そしていま涙を拭いながら、初めての追悼文をこうして記しているのだから、気分は複雑だ。

 笹本氏は、あまり表に出ないタイプの作家だったので、ファンの方のなかにはその創作姿勢やおひと柄に興味を抱いている向きもあるだろう。せっかくの機会なので、いくつか思い出されるエピソードを挙げると、しっかりとした青写真は作らずに書き出し、書きながら展開を考えるという笹本氏に「思いのほか物語が膨らんでしまい、連載予定を超過して慌てることはありませんか?」と訊(き)くと、「書いていると、なんとなく自然と収まるところに収まるんです」とご自身でも不思議に感じているご様子。あの傑作群が斯様(かよう)に感覚的な執筆によって完成していたのかと思うと、驚きを禁じ得ない。

 大スケールの謀略サスペンスや骨太な警察小説を書く際、調べることが膨大でリアリティに縛られてしまうことは? という問いには、「ずっと調べていくと、必ずこれ以上は調べられないところに行き着く。そうすると読むひともそれ以上の真偽を確かめようがないですから、そこから先はなにを書こうが自由なんです」と微笑まれるのだった。笹本作品の魅力の一端が垣間見える、貴重なお言葉だ。

 そしてなんといっても忘れがたいのが、犯罪小説やノワールのような悪人しか登場しない作品の構想や執筆意欲について伺うと、きっぱりと否定され、「世のなかが暗いと感じられるいま、あえて自分がそうした話を書こうとは思いません。読んだひとに希望が残り、この世もそう捨てたもんじゃないと思えるものを書きたい」とおっしゃった。

 確かに、どの笹本作品を読んでも、現実の厳しさを突き付けられはしても、暗い気持ちに傾いたまま終わるものはない。きっと、その姿勢を崩すことなく今後も作家活動を続けていかれるおつもりだったのだろう。

 本稿執筆時、私が勤める書店の入口横では笹本作品を集め、これまでいただいた色紙とともに大きく並べている。その色紙のひとつ、中央に飾っているものには、こう記されている――「魂の数だけ夢がある」。

 これからもページをめくれば、作品を通じて笹本氏の魂に触れることができる。読者に希望をもたらすその夢は、まだ終わらない。

光文社 小説宝石
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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