矛盾だらけの世界の中でいかに筋を通すか

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

矛盾だらけの世界の中でいかに筋を通すか

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『すばる2022年8月号』(集英社)

『すばる』で6月号から短期集中連載された古谷田奈月「フィールダー」が8月号で完結した。

 老舗大手出版社・立象社で社会派の小冊子『立象スコープ』の編集をしている橘泰介が主人公。橘の担当する児童福祉の専門家・黒岩文子が子どもに性的接触をしたらしいという情報が社内にもたらされ、同社の週刊誌『週刊立象』がスクープを狙いに動き始める。

 そのとき橘の元に、黒岩から「もう、何が子どもたちのためになるのかわからなくなっています」と告白する長いメールが届き、彼女は失踪する。

 橘の生活は、多人数が同時参加するスマホゲーム『リンドグランド』への依存でかろうじて成立していた。ゲームのパーティーに橘は居場所を見つけたのだ。だが、ゲーム世界では圧倒的なリーダーシップと知識とスキルを誇る「隊長」が、家族から虐待を受けている未成年であると知り、橘は、彼を助けたいという気持ちを強くしていく。

 この小説には、いま社会を覆う「公衆衛生」をめぐる矛盾が考えうる限り投げ込まれている。「WHOが定義する健康、つまり身体的にだけでなく精神的にも、社会的にも健やかな状態」の矛盾、具体的には、児童虐待、小児性愛、ルッキズム、ソシャゲ中毒、ネット炎上、希死念慮、社内派閥抗争、動物愛に隠れている人間のエゴ、などである。

 人権を謳う雑誌や書籍、文化的な文芸誌や文芸書を発行しながら、社長が差別発言で糾弾され、スキャンダル、ルッキズム、少年向けエロ漫画を商品にする立象社は、社会の矛盾を一身に体現する象徴、世界の縮図である。そんな世界に所属しながら「筋を通すこと」はできるか。

 フィールドワーカーをやめ「本物の当事者に、フィールダーにならなくては」。黒岩はそう語る。

 観念から踏み出した現実というフィールドと、ドラゴンを征伐するゲーム世界のフィールドが重なったとき、橘はフィールダーとして覚醒する。「ゲームはリアルなんだ」。

 矛盾というドラゴンをフィールダーとなって狩る。それは回答ではない。「筋」に対する決意表明である。

新潮社 週刊新潮
2022年8月25日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク