<書評>『近代日本の競馬 大衆娯楽への道』杉本竜 著

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近代日本の競馬 : 大衆娯楽への道

『近代日本の競馬 : 大衆娯楽への道』

著者
杉本, 竜, 1974-
出版社
創元社
ISBN
9784422701264
価格
2,750円(税込)

書籍情報:openBD

<書評>『近代日本の競馬 大衆娯楽への道』杉本竜 著

[レビュアー] 和田博文(東洋大教授)

◆国防利用との主導権争い

 日本の競馬は一八六〇年代に横浜の居留地で、外国人の娯楽として誕生した。七〇年代後半〜八〇年代は不平等条約の改正を目指す政府の方針で、欧化政策の一端を担っている。競馬場は鹿鳴館と同じように、西洋の貴賓を接待する、文明国らしいスポットとして機能した。しかし欧化政策に非難が集中すると、表舞台から姿を消してしまう。

 競馬が再び脚光を浴びるのは、日清・日露戦争を経て日本が帝国へと伸張(しんちょう)するときである。膨大な戦費が、競馬の納付金に目を向けさせた。在来馬が軍馬に不向きなことも、馬の改良という課題を意識させる。そこから始まる陸軍と宮内省・農商務省・競馬倶楽部(競馬実施団体)の主導権争いは、本書の読みどころの一つである。

 一九〇八年には配当金不正疑惑の鳴尾事件が起きた。競馬の賭博イメージが強まり、政府は馬券禁止に踏み切る。馬券を発売できないと、競馬倶楽部は設備投資費用を回収できない。宮崎競馬倶楽部が始めた、馬券に代わる景品券の競馬は、他の倶楽部にも波及していった。第一次世界大戦で輸送用の馬の需要が高まる。他方で競馬法制定運動は、馬券が許可される枠組みの模索を続ける。厳しい制限を課した競馬法は、二三年に成立した。

 競馬場は都市の祝祭空間として、新中間層の人気を博していく。新聞や競馬誌、予想屋を参考に、観客は馬券を購入して、サラブレッドのスピード感溢(あふ)れるレースを楽しんだ。それに対して陸軍は国防に役立つ馬の育成を目指す。満州事変後に徴発した馬の減耗率は、陸軍の平時保管馬の九倍に上っていた。「満洲国」の競馬では、サラブレッドは排除される。戦争の長期化に伴い、厩務(きゅうむ)員・調教師・騎手の徴用が続き、競馬界は人材不足に陥った。

 本書は競馬という鏡に、近代日本の歴史を映し出した好著である。競馬に関心がなくても、興味深く読むことができるだろう。夏目漱石・井伏鱒二・芹沢光治良・白井新平・織田作之助など、文学者や思想家も顔を覗(のぞ)かせる。

(創元社・2750円)

1974年生まれ。三重県桑名市の市博物館長。専門は日本近代史。

◆もう1冊

立川健治著『文明開化に馬券は舞う 日本競馬の誕生』(世織書房)

中日新聞 東京新聞
2022年9月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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