『放浪の唄 ある人生記録』
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「石ころのようにころがって」生きる放浪詩人の仕事の遍歴を綴った危険な一冊
[レビュアー] 都築響一(編集者)
熊本の山間部で生まれ育ち14歳で働き始め、太平洋戦争で少年軍属として南方戦線に送られ九死に一生を得て帰還。戦後は日雇い仕事、露天商、ドブロク屋、立ちん坊、人夫、乞食見習い……社会の底辺を這いずり回り、およそ120種の仕事に就きながら九州一円の野山を放浪(本人いわく「ぶらぶら歩き」)して2019年に92歳で世を去った詩人・高木護。『放浪の唄 ある人生記録』は1965年に初版が出て、このほど復刊された彼の出世作だ。
ほんとうはその120種類の仕事をぜんぶ羅列して終わりたいくらい魅力的な生きざまは読んでいただくしかないが、仕事ぶりもだらしない、下半身もだらしない、生き方そのものがだらしない、しかし圧倒的な生への執着が「意識高いていねいな暮らし」をヨシとする時代に生きる僕らのこころを揺さぶる。
それは敗戦に打ちのめされながら復興に突き進んだ当時の社会状況と呼応してもいるが、高木さんのユニークなのはそこに向上心のカケラもないところ。結論として彼は「一年に二、三回職を替えたらたのしい」「精励精勤、粉骨砕身、努力が認められるということは、十に一つもあるまい」「わたしのような、何の取柄もない男の生き方は、一つしかない。どんな逆境でも、のんべんだらりと」「ささやかなたのしみを見つけることだ。しあわせなんか、考えようによっては、そこらじゅうに、道端の石ころのようにころがっている」と書いている。
向上心を持たないからこそ、同じく向上心を持たないひとたちの群れから群れへとぶらぶら歩きしながら、ささやかなしあわせの石ころを拾うように生きていった。それをだらしないと切り捨てるか、向上心を持たないことのラディカルさに気づくかで、人生はずいぶんちがったものになるはずだ。「飄々」や「人間賛歌」といった言葉でこの本は評されるのだろうが、僕にとっては「笑わせるふりした危険な一冊」である気もする。