『天路の旅人』
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80年前の砂漠を旅する密偵を同行者の視野で描き切る大著
[レビュアー] 北野新太(朝日新聞文化部記者)
沢木耕太郎と他のノンフィクション作家を明確に隔てる差異とは方法、つまり書き方への執着である。半世紀を超えるキャリアの中で、彼は「何を書くか」のみならず「どう書くか」を問い続け、挑み続けてきた。
自分が見たもの以外は書かない「私ノンフィクション」の手法を用いた『一瞬の夏』、会話文のみで構築した『流星ひとつ』などの例を挙げるまでもなく、先駆として二十代から築き上げたニュージャーナリズムのスタイルは後進に影響を与え、踏襲と模倣を誘ってきた。
9年ぶりの長編『天路の旅人』は、第二次大戦末期に密偵として中国西域に潜入した西川一三の8年に及ぶ旅の顛末を描いた574頁の大著である。
取材開始から25年、執筆を始めて7年もの歳月を完成に要したのは最良の書き方を追求したからに他ならない。1年にわたる西川へのインタビューの後、書くべきスタイルを発見できなかったために取材を中断するが、後に西川は亡くなってしまう。
西川自身による回想記『秘境西域八年の潜行』が既に存在し、追加取材の機会も失われた。平凡な書き手なら撤退に逃げたくなる状況だが、類のない旅人を描くための格闘は続けられた。
曲折の果てに辿り着いた方法は、誰もが初めて見る球を投げるのではなく、ストライクゾーンへの160キロの速球で勝負することだった。
内蒙古を出発して寧夏省、青海省を経てチベットに至り、インドで逮捕されるまでの旅を三人称の時系列で追い、序章と終章で挟む王道の手法を用いた。80年前の砂漠で密偵が過ごす朝の食事から震える夜の恐怖まで。無数の細部の集積により、同行者の視野を獲得している。
そして、本書には「書き方」の対になる「読まれ方」に沢木ならではの個性が宿っている。二十六歳での出発、ユーラシアを東から西へ、当初の目的から離れた「ここではないどこか」への長い旅。沢木の読者ならば、あの『深夜特急』を自然と追想する。主人公の旅を追う間、著者のかつての旅をどこかで想い続けるという不思議な感覚に導く作品である。
十月、沢木は私に言った。
「どうして俺は諦めないんだろうと何度も思った。いつ諦めてもよかったけど、諦めない理由があったから」
重さを確かめるようにテーブルから本書を持ち上げると、表紙を少し見つめた。顔に浮かんでいたのは8年……ではなく、25年の潜行を終えて帰還した旅人の微笑だった。